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道標~すべてに感謝を込めて~

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もうすぐ2011年が終わります。


今年はなんといっても震災の年。

何十年も引き継がれる出来事でしょう。


それと記録的な円高。年末には金正日氏その死。


世界の変化がめまぐるしい一年でした。




自分自身を振り返ると…まだまだ浄化中の身でした。


回復期の病院に勤めて3年目になりますが、以前勤務していた3年間とは180°違うなと今でも感じます。

どちらも良いところ、悪いところはありますが、すべて良い経験ですね。


今は特に家族の大事さを強く思います。

なんだかんだで家族なんですね。

幸せにはいろんな形がありますが、やはり無償の愛を与え合える家族の存在は何物にも代えられない。


来年は20代最後の年となります。区切りの年です。

まずは今までの経験を統合し、仕事の軸を見つけること。そして、自分と向き合いながら、周りに良い影響が与えれるような人間になっていきたいと思います。



みなさん、今年も大変お世話になりました。

心より感謝を込めて。



来年もよろしくお願いします。

2011年7月26日、午前三時、母方の祖母が亡くなりました。


享年81歳。


そのため、忌引き休暇をいただいて三重県に帰省。



いつもおばあちゃんがいる部屋に、ふとんをを引いて静かに寝ているおばあちゃんがいました。


死後にもかかわらず、皮膚は柔らかく、起きてしゃべりだしそうな様子。しかも笑ってるんです。



生前はお好み焼き屋を経営し、しゃべるのが好きで、話すと止まらないおばあちゃん。


行くといつもかき氷やところてん、ラーメン、お好み焼きを出してくれたおばあちゃん。


毎年、お盆や正月には四日市や奈良の親戚が集まって楽しそうにするおばあちゃん。


自分のことよりも、いつも周りに気を使うおばあちゃん。


お金の話が好きなおばあちゃん。


自分が海外に出る前の三日間寝れないほど心配してくれたおばあちゃん。


紀伊長島に帰ると、「ひろきか~!」っていつも迎えてくれるおばあちゃん。



いつまでも元気でいるんだと思ってた。


もっといろんな話を聞きたかった。


世話になりっぱなしだったのに、何も恩返しできなかった。


祖父母の中で唯一生きてるおばあちゃんで、一番仲が良かったんです。

今でも実感が湧きません。



通夜、葬式には各方面の親戚が集まり、葬儀を行うことができました。


本当にみんなに愛されてるおばあちゃんでした。


聞くところによると、相当な苦労をしているんです。


それでも、いつも笑ってました。


そんなおばあちゃんのもとで育ったことを誇りに思います。





おあばあちゃんへ


今まで何もしてあげれなくてごめん。そして、ありがとう。


そっちではおじいちゃん、とっちゃんと仲良くな。


天国から私達、西村家、平野家、家族一同を見守りください。


いつの日か、また会いましょう。


またおばあちゃんのラーメンを食べにいきます。



心よりご冥福をお祈り致します。





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7月4日~6日で連休がとれたので、被災地である気仙沼大島に行ってきました。

気仙沼は岩手と宮城の県境。船橋から車で8時間。

大島は気仙沼の漁港からフェリーで30分のところにあります。

日本の離島に行くのは初めてでした。

そこでの自分の役目は瓦礫撤去と仕分け作業。

できたらリハビリもしようかと思ったんですが、現在は個人での医療行為は受け付けられないということでした。

理由としては、毎日毎日代わる代わる医療ボランティアが来て、いろんな人がいるから、それが却って住民の負担になっているんだそうです。


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行ってみて率直の感想は、島の人、ボランティアの人、みんなが必死で頑張ってるってこと。

大学生が多かったんですが、20歳前後であっても本当にみんなしっかりしていました。

何よりも島民に対するあいさつから敬意、礼儀まできちんとしていて、やってあげてるって思いがちと思いきや、まったくそうでもない。

事務局、ボランティアの割り振り、オリエンテーション、活動、みんなでやっていました。

自分が一緒に瓦礫撤去のボランティアをした人は74歳。2日間だけのボランティアに東京から来たそうです。

みんなめっちゃ熱い気持ちの持ち主でした。

また、島民もみんながやってくれるとという傲慢な感じがあると思いきや。高齢者の方でも20歳そこそこの人に敬語を使い、ありがたいという気持ちを常に持っている。経済的に厳しいにもかかわらず、午前と午後の休憩ではパンと飲み物をいただきました。

やっぱりメディアでみるのと、リアルにみるのはぜんぜん違います。

まだまだ家がひっくりかえっており、地面もガタガタ。。。島にあるのはスーパーが一軒だけです。

しかも実際に被災された方々から話を聞くと、ただ事じゃないことを痛感します。

親子で車で逃げていたが、間に合わず車を置いていかなきゃならなくなりました。しかし、親は高齢者で足が悪い。息子がおぶって逃げようとしたが、親は「あんたは生きな!」と息子を引き離したそうです。そして、その親子は津波に襲われるまで携帯でずっと励ましあったとのこと。


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何ができるか分からん、、、どうせ一人が行っても、、、そんなことはありません!!

仕事も自分の生活も大事です。遠い所縁もない土地かもしれません。

でも、少しだけ目を向けてください。

そこには失ってはいけない大事なものがありますから。