最近、人間の脳の限界について興味が沸くものです。

私は日本人ですが、外国語は、私は普通の日本人なので、「英語」から学校で習いましたが、声楽に興味を抱き、音楽大学での歌の勉強ということで、実質は「英語」と「イタリア語」の2つからスタートしました。

そのうち、「ドイツ語」も大学の教養科目として講義を履修し、「フランス語」は独学で勉強をはじました。

そして、二年前からは、ずっと興味のあった「ロシア語」を、病気の治療をするなか、体調の良いタイミングを盗んで独学で勉強しています。

つまり、第一言語が日本語で、第二言語が英語、イタリア語、ドイツ語、フランス語、ロシア語となるようにめざしていて、そして、つまり、第一言語の日本語を含めると、六ヶ国語の習得を目指していることになります。

そして、第一言語の話者は、その言語に関する語彙について、最低でも約二万五千語をもの数を必要とします。

次の例は、日本語話者ではなく、英語話者なので、日本語話者である日本人にはあまりしっくりくる例えにはならないのが残念ですが、かの著名なシェイクスピア氏は、なんと十万語をもの語彙を持っていたとされてます。

しかし、私は、語学学習において、新しい風を吹かせたいと考えているのですが、昨今の日本において、日本語を第二言語としてではなく、その第二言語としての日本語を「第一言語化」された外国人、あるいは、外国出身の日本人がメディアにてお目にかかることが出来る時代になった今、その第二言語の第一言語化を私も実現し、その方法論を考案したいと思っているのです。

しかし、そう考えると、私は日本語が第一言語なので、それが、最低ラインとして、二万五千語はあるものとして、それかける六ヶ国語という計算で、その六ヶ国語を全てを第一言語として話せるようになるためには、十五万語の語彙の記憶を脳に委ねればなりません。

ある文献では、一般的には、人間は、言語の習得は、三ヶ国語が限界で、賢い方だと四ヶ国語まで可能だそうです。

また、その本によれば、中には、数十ヶ国語の言語の話者がいたそうですが、それを、維持をすることが既にライフワークのひとつとなり、大変そうに見えたとのことです。

しかし、最近、日本近郊のアジアの言語、中国語やバングル語にも興味が沸き、夢だけが膨らみ、何かと悩ましい気持ちになることもあります。

そんな中に、このようなことを考えてみたものでした。