私の幼少期は、私にとって人生観とは、当たり前のことばかりで、それは、学校で勉強して、良い大学へ入って、良い会社に入社して、と、こんなことが当たり前のことだと思っていました。

しかし、声楽家に憧れて、音大に行きたいと高校生の時に家族に相談して、音大入試の対策をやらせて頂きました。

そして、音大を卒業して、声楽家としては一人前になれなくても、何かで仕事して、人生を楽しみたいと思っていました。

色々とある世の中ですが、そこの私には、当たり前のことのようにばかり、この世界が写っていました。

しかし、20代で重病になり、動けなくなり、そして、複雑な人間関係も学び、そうして、揉まれて過ごしているうちに、私にとって、人生の当たり前は全く消えました。

どんなに親しい中でも、毎日の出会う皆様が一期一会で、いつも、これが最後かもしれないと、そして、勿論、私も今日で最後だと思いながらの日々を過ごすようになりました。

今の私には、当たり前がないのが、当たり前なので、私にとってはもうどうでも良いことですが、他者に対してこう思うことは失礼かもしれないと思いつつも、この感情は、私を離れることはありません。

しかし、私が、私の人生に対して、全力で努力した成果がもしもあるのだとすれば、他者のことはコントロールできないが、出来る限り、私は、その一期一会をいつも良いものであってほしいと努力するばかりです。

今までは、当たり前がある価値観の人生の中で、努力すれば報われると生きてきましたが、他者から私自身に与えられる期待はほぼなくなり、心は、当たり前のない人生を歩むなか、非常に快適に過ごしています。

しかし、私自身の出来ることが、もしも、あるのだとすれば、一期一会、その今日限りの一度キリの出会いを、喜ばしいもので、あってほしいと生きるばかりです。