私は今日、未来に対する期待が消えました。

不思議なものです。

私は以前、15年の法則という記事を書きましたが、それは、限界まで夢に挑戦した場合、夢は15年の努力で叶うというものです。

その時は、私が3歳で物心のついた人生のスタートの時に、気がついたら私はピアノを習っていました。

ピアノを習っていると、「ピアノの先生のお子様は、将来、音大生かなぁ。」という話題があり、私はピアノは凄く苦手でしたが、音大生になって、音楽をやりたいという夢が生まれました。

上に書きました通り、私はピアノが苦手だったので、小学生になる時には、音大は無理だと思っていました。

何故ならば、小学生の私ですから、世間知らずなので、音大は当時習っていたピアノ科以外はないものだと思っていたからです。

しかし、音大の夢は、例え叶わない夢でも、努力して、立派な大人になることを目指して、頑張りました。

時が経ち、中学生の時に、進路の決めるために、高校の資料を見ていました。

勉強は大の苦手でしたが、やはり、志望の高校の進学先は気になるものです。

当時、立派な大学に行き、立派な会社に入ることが素晴らしいことだと言われていましたので、高校生になって、苦手な勉強を取り返し、あの憧れる早稲田大学に入りたいと思っていました。

しかし、神様がいたずらをしたのか、私が志望しようとしていた高校からの進学先に、「国立(くにたち)音楽大学」と書いてありました。

目に止まったので、家に帰り、やっと普及したインターネットでウェブページを検索し、どうやら音大では「声楽科」というの科があり、それは、主にオペラの歌を中心に教えている科ですが、歌が得意だった私は「これなら音大に行けるかも知れない。」と思い、高校一年生から音大受験のためのレッスンを受けられるように、家族にお願いしました。

実際には、東京藝術大学、昭和音楽大学、国立音楽大学と3つの音大で悩みましたが、国立音楽大学を受けることになりました。

そして、3歳から15年経った18歳に、ストレートで音大生(国立音楽大学 学部生)となり、仲間とたくさん音楽を勉強するという夢が現実になりました。

夢が叶った当時は、超楽しかったです。


前置きが随分と長くなりましたが、私は、勉強がとても苦手でした。

音大受験の準備で、「歌」や「ピアノ」や「楽典」は、当時のレッスンの先生の方方のおかげで、順調に進んだのです。

しかし、一般科目の「英語」に非常に大きな問題がありました。

レッスンの先生の方方も、一番に心配していたのが、中学生の時にテストがビリだった、英語なのです。

しかし、これは、音楽ではありませんので、レッスンの先生に教わる訳にはいきません。


ここで、本題ですが、今から丁度15年前は、私は高校二年生の春休み前です。

大学受験まで一年をきり、私は、ここで、お尻に火がついたのか、猛烈に焦りました。

そして、高校三年生に学年が上がる直前の3月の春休みに、英語を出来るように本気を出そうと決意し、英語の単語とその日本語訳がたくさん載っている本を買って、その春休みから、毎日ノートに英語の単語とその日本語訳を殴り書きして、覚えられるように、勉強を開始しました。

音大受験のために、周りの方方に、これ程の協力を得ているのに、しかも、レッスンはしっかりと教えて頂いているのに、私自身の高校での勉強の問題で音大に合格できなかったら、物凄く後悔するだろうなと思ったのです。

ですから、春休みは勉強をずっと続けて、そして、しかも、学年が変わる時に、クラス変えがあるので、高校二年生までは皆と遊んで楽しい思い出をつくりましたが、新しいクラスに変わるので、絶対に勉強を放棄して遊ばないように、朝早く学校に付き、学校の先生による出席の確認の前まで、机で、ひたすら、春休みにやっていた英語をノートに殴り書きする勉強をしました。

その時に、私は思ったのです。

「勉強が好きになれなら、どんなに幸せなことか」と。

そして、それから15年経ち、もうすぐ32歳を迎えようとしている春の今、勉強がやりたくて堪(た)らない境地(きょうち)になったのです。


今まで、私は、「音大に合格したいから」という未来に期待を込めて勉強していました。

何故ならば、勉強が苦手だったからです。

しかし、音大の夢が叶っても、また、今度はオペラ歌手になるための勉強を必死にやってきて、私は26歳で持病の精神病が悪化し、トラブルまで起してしまいました。

入院をするまでに重症で、20歳代後半は、ずっと、ベッドの上で生活しました。

しかし、病気が苦しくても、少し楽になった時に食べに行った、マクドナルドは、最高の楽しみでした。

重度の病気の私には、食べることしか、楽しみがなかったのです。

しかし、調子が少しずつ良くなってくると、やはり、あれだけ頑張って勉強し、感銘を受けた、オペラを忘れることが出来ませんでした。

ですから、苦手な勉強は、苦手なことに打ち込むことは気力を消耗するので、程程にして、得意な発声練習は周に三回程度に分けて、一回一時間程度やりました。

そして、YouTubeもはじめました。

しかし、一向に勉強は進みませんでした。

そして、一年半前の夏頃に、ようやく、病気の辛い症状が、お薬は必要ですが、感じられなくなりました。

その時は、久しぶりに夏休みを頂いた気がして、ゆっくりとくつろぎました。

しかし、ゆっくりと休み、散歩等をして過ごしていると、今度は体力も回復してきました。

そして、昨日も今日も明日も、ずっと、ベッドに肘をついてゴロゴロとしているだけの時間に、途方もない退屈を感じはじめました。

入院する前に、私の持病の精神病への理解の甘さもあり、色々とトラブルを起してしまいました。

そうすると、当然、仕事にしようとしていた、オペラ界の人たちからご連絡がくることもなく、しかし、周りの方方の支えにより、生活は何とか成り立っているので、本当に家のベッドで頬杖ついてゴロゴロしているだけの退屈な日日です。

私はスマートフォンをいじっていたのですが、何も予定がないので、ついずっと弄ってしまい、目が疲れます。

他に面白いことを探しても、「テレビゲーム」を買って来て遊ぶか、それとも、本屋さんで「間違い探しゲームの本」か「クロスワードパズルゲームの本」を買って来て遊ぶか、それくらいしか思いつきません。

映画やドラマも、まだ具合が悪く、寝ていることが精一杯の時に、好きな作品はほとんど観てしまいました。

テレビゲームも間違い探しゲームもクロスワードパズルゲームも、結局は頭を使うものです。

それだったら、ちょっと辛くても【勉強をすること】が一番良いのではないかと思ったのです。

それが、今日です。


だって、体調がどれだけ良くなったとはいえ、病気になる前の全く元気な状態まで戻ることは非常に難しい訳ですし、病気の治療には、それこそ、休み等、1日もなかったです。

辛かったら、ひたすら、ベッドで、うずくまっているだけです。

それに比べたら、勉強なんて、何でもないことだと思ったのです。

上に書いたように「オペラ歌手になりたいから」という期待を持つから焦るのであって、常識的に考えて、当分そのような話はない訳でして、でしたら、遊ぶつもりで勉強をやってみたらどうだろうと思ったら、心が凄く軽くなったのです。

テレビゲームだと思って、勉強をやってみます。

テレビゲームと同じなのですから、勉強が飽きたら辞めれば良いのです。

そして、また、勉強がやりたくなったら、やれば良いのです。

子供の頃は、テレビゲーム等が、はじめて見るものだったから熱中しましたが、大人になり、何となく、話が想像できるようになってしまいました。

勉強が苦手でなくなりたいと思い、努力を続けて15年経ち、勉強の遊びごと化が実現しました。