私はこの人生において、後悔はありません。

何故ならば、私は努力を放棄したことが一度もないからです。

これは、皆様に、決して「見習え」と言っている訳ではありません。

むしろ、私の生き方は、ある意味、面白味のない生き方でしょう。


私はずっと努力をしてきて、叶った夢もたくさんあったし、叶わなかったたくさん夢もありました。

しかし、私の今の人生のというのは、結果待ちの状態なのです。

その一つに、一昨年の初夏の出来事ですが、私は持病の精神病の幻聴がどうやっても止まらないので、「もう人生おしまいだ。」と嘆こうとした時です。

幻聴が聞こえる中、歌を歌ってみることにしました。

嘆くよりも、大好きな歌は歌えるのだから、もしも、これが最後だとしたら、ひとりで楽しく歌おうということで、歌ってみたら『ベルカント唱法』の謎がとけ、その中でも最も難しい技術の「声区融合」が私の声で実現したのです。

読書が苦手な私が、難しい本をかじりついて勉強した高校生のあの時はから、時は15年経っていました。

ネタバレになってしまいますが、実は『ベルカント唱法』には、声区融合が完全に達成されるまでの年月は10年と書かれています。

そういう意味では、私は15年かかってしまいましたから、やはり、「俺は鈍いなぁ」とは感じましたが、しかし、本当に実現出来てしまったのです。

実際に、それを自分なりにしっくりくる歌唱法に落とし込むまでには、もう少し時間がかかりましたが、本当に地声と裏声が繋がるだなんて、思いもしませんでした。

むしろ「発声本は理論であって、実際の感覚とは違うから」という噂を信じ切ろうとしていたところで、病になり、病を治すことを頑張ったら、全然治る気配がないので、「もう、ええわ!」という感じで、「俺は大好き歌を歌いながら天国に行く。地獄でも良い。」と歌ったら、ベルカントの謎が溶けたのです。

もう、「ベルカント唱法」なんてことは全く忘れてました。

しかし、出来たので、それを、さっそく動画に投稿しました。

動画を投稿したのは、出来てから数日だったので、上手い説明は出来ませんでしたが、とりあえず、記録に、残してみることにしました。

そうしたら、数ヵ月後、あれほど、うるさかった幻聴がピッタリ消えたのです。

(私のこの体験は医学的根拠に基づく体験ではありません。だから、奇跡と呼ばせて頂きます。)

それからは、嘘のように幻聴が消え、今に至ります。


勿論、私の場合には、お薬を飲んでいる条件での、幻聴が全くなく、普段通りの生活が可能ということですので、お薬を抜いた場合、また幻聴が出るかもしれませんが、今のところ、どんどん良くなっています。


それで、辛い闘病していた20代後半だと、恋愛もしたいのが当然ですが、病で動けないですが、世の中の女性にアプローチしまくったのです。

私は恋愛は大賛成の立場です。

よく、お母様やお父様の方々の「ラブレターをポストに投函した時に、あれほど好きなはずなのに、恥ずかし過ぎて、物凄く後悔した」なんてお話しを聞くと、本当に嬉しく思ってしまうのが私です。

何故ならば、私もやっていたからです。

でも、仕事がないから駄目だとか、学生だから駄目だとか、色々と意見も頂いて、泣く泣く諦めた経験もたくさんあって、でも、仕方ないと思っていたのですが、病気になってから、「これだけ頑張ったのに!」という気持ちが出てきて、一夫多妻を提唱した上で、好きな女性にアプローチしまくったのでした。

私の場合は、少し遅くて、はじめて告白したのざ二十歳だったのですが、先ほどの「好きなのに、ポストに投函した瞬間に、恥ずかし過ぎて後悔した。」なんてことをずっとやってきていると、恥ずかしいなんて気持ちが消えちゃうんですよ。

子供の頃に覚えた遊びと同じで、子供の頃に一所懸命やった遊びは、大人なってからでも結構できるものなのですよね。

僕らの世代ならファミコン(テレビゲーム)。

もっと前の世代なら、駒回しやメンコやお手玉やけん玉。

こういうのと全く一緒で、女性にアプローチすることに何も抵抗なくなってしまうのです。

フラても何もキズつかない。

ファミコンだって、勝負なんだから、当然友達に負ける時はあるのだし、それも含めて楽しいものなのだから。

だから、同時にたくさんアプローチしても、何も恥ずかしいと思わないのです。

私も浮気は良くないと言っていましたが、それは、最初は心を込めて告白した彼女を大事にしようとのことでしたが、もう告白なんて私にとって何でもことですから、いくらでも手を出そうと思いました。

だから、滅茶苦茶たくさんの女性にアプローチしました。

あとは結果待ちです。

たくさん来てくれたら嬉しいなと思います。


そうして、私はこの人生において、今まで自分が出来なかった努力がひとつもないことに気がつき、あとは、神のご機嫌で決まるものだと思って、楽しく生きています。

怖いことはたくさんあります。

でも、「やらなくて」ということは全くなく、これからもそうでいる予定なので、不思議と心は安心感に包まれているのです。