2011年の夏、私が大学二年生の時の、小林教授クラスの重唱発表会で、私にとっては二回目の重唱発表会についてお話をしたいと思います。


小林教授クラスでは、毎年10月と、次の年の1月に発表会が行われていました。

教授のクラスということもあり、人数も多かったことから、比較的お金があり、贅沢に年度二回も発表会で舞台を経験することが出来、私とっては、素晴らしく恵まれた大学生活でした。

前者はオペラの重唱、後者はソロ歌唱の発表会でした。

私の家族は勿論のこと、各学生さんの保護者の方々、そして、たくさんの応援に駆け付けて下さった学生の方々には、今となっても、感謝の気持ちを忘れません。

差し入れも、たくさん頂きました。

本当にありがとうございました。


そして、今回は私にとって二回目となるオペラ重唱の発表会のお話です。

この記事では準備から夏の合宿までのことをお話したいと思います。




6月に入り、7月の大学の歌唱試験が近づいてくる中、夏の合宿でのお稽古の課題曲が、クラスの幹事の先輩方からのご連絡により、発表されます。

話はそれますが、前回のオペラ重唱の発表会では、私は「バリトン」という、男声の中くらいの高さの声を歌う声種(せいしゅ)で勉強させて頂きましたが、高音の美を追求したいと考えていた私は、今年度からは「テノール」で勉強したいと小林教授にご相談したところでした。

小林教授からは、「まだ、高音が十分に歌えないので、もう少し様子を見て、高音が出せそうな雰囲気があれば、テノールで勉強しましょう。」と今年度はバリトンとして勉強するように言われ、希望が叶わず、しかし、自身の今の現状を受け止め、今に出来ることを一所懸命に勉強しようと、大学二年生からは、ドイツ語の歌曲のシューベルトを勉強しはじめたところでした。

さて、いよいよ、課題曲が発表されましたが、私には二曲の課題曲が当てられ、モーツァルト作曲、歌劇『魔笛 (Die Zauberflöte)』より一幕の五重唱「フム、フム、フム、フム (Hm, Hm, Hm, Hm...)」のパパゲーノ役 (Papageno)。そして、ロッシーニ作曲、歌劇『セビリアの理髪師 (Il Barbiere di Siviglia)』より、二重唱「それでは、私なのですね。(Dunque io son...)」のフィガロ役 (Figaro)でした。

一年生の時とは違い、成績や授業態度、あるいは、どれだけ頑張って練習しているかにより、役に差が出てきました。

一年生の時には、皆で仲良く、モーツァルトのオペラを勉強したので、色々と辛かったです。

しかし、私にも今の課題があり、ここは頑張りどころでした。

『セビリアの理髪師』というオペラは、男声の声に、はじめて「バリトン」という声種の概念を生み出したオペラの重要な作品のひとつであり、それ以前は、男声の声種には「テノール」と「バス」の二つしかなかった歴史があり、このオペラでは、「バスなのに高い音まで歌う」という、私がひとつ乗り越えなければ課題があり、まさに、当時の私にピッタリな役を頂けたと思います。

カデンツァも、当然、実際に劇場で行われている通りにつけて歌いますので、ソの音までは歌えなければなりません。

これから、テノールで勉強したいと思っていた私にとって、本当にテノールで勉強をしたければ、必ず出なければならない音域ですから、大学の歌唱試験が終わった後に、すぐに、猛練習しました。

(大学の歌唱試験のお話は、また、別の機会にしたいと思います。)

私は高校生の時に、発声の権威者の発声教本を読み、男性の声は、ナチュラルに発声した場合、ラ♭までは出るのだそうなのだ。

そうすると、今回の課題曲はソの音までなので、ちゃんと頑張って練習すれば、歌える筈だと思い、練習しました。

しかし、音域限界まで、声を使ったことがなかったものですから、それを本番で歌うのは、楽しみでもあり、勇気のいることでもありました。



まず、オペラの楽譜を買い、そして、先輩方から教えて頂いた伝統のカデンツァ集 《Ricci(リッチ)》というイタリアの楽譜の出版社「リコルディ社 (Ricordi)」(現在はアメリカに本社がある。)から出版されている楽譜を、『セビリアの理髪師』のロジーナ役 (Rogina)を歌うソプラノの同級生とにらめっこする。

授業の空いた時間に図書館にこもって、聴いてみる。

しかし、良くわかなくて、私も仲間のソプラノの方にも頼まれて、上級生のオペラ科の学生の公開試験を覗きに行き、『セビリアの理髪師』もやっていたので、こっそりとメモを取る。

そして、後日、図書館にこもって、たくさんの CD を聴き、伝統的カデンツァはこれで間違いないだろうというところまで、理解出来ました。

それから、『セビリアの理髪師』は、今回は、レチタティーヴォ・セッコという、オペラながらの、歌いながらの台詞でのお芝居からが課題でした。

この後、大学院の先輩にたくさん稽古をつけて頂き、一年生の馴れ初めとは違い、しっかりオペラのワンシーンを演じることが出来ました。

このレチタティーヴォ・セッコというのは、偏見かもしれませんが、歌が大好きな歌科の学生には非常な大きな壁で、これがこなせるかどうかで、その後、オペラ歌手として人生が開くかどうかの鍵を握っていて、しかも、単に歌うだけでなく、歌よりもずっと長いイタリア語の台詞を、すべて演じきるというのは、「非常に『勉強』が必要で」、これが、もうひとつの大きな困難でした。

楽譜を机に置いて、イタリア語の辞書を牽くが、気が遠くなってしまい、中々、進みませんでした。

しかし、折角に頑張って音大に入学して、これほどまでにも暖かい仲間が出来たというのに、これから志したいオペラのワンシーンも作られないのかと思うと、私自身、悲しい気持ちになり、ここは頑張って、辞書を牽きました。




そして、もうひとつ『魔笛』があります。

こちらは、ドイツ語です。

そして、前回の一年生の時の「パ・パ・パ」と同じで、早口が出来るかどうかが、この『魔笛』の難しいポイントでした。

この課題曲は、最も多かった私たち学年全員で取り組みました。

そして、こちらは、歌う前に、日本語で、オペラの脚本に即する台本を作り、皆でお芝居をしてから、歌う(重唱をする)ことになりました。

先輩方から、たくさんお稽古をつけて頂き、何とか形になりました。




そして、ついに大学の講義が全て終わり、夏季休暇になり、夏の合宿がはじまりました。

今回は、クラス皆で山登りをする予定でしたが、私が合宿で久しぶりの徒競走をしたら、足の指をケガしてしまい、私は山登りは欠席しました。

宿泊しているペンションの方が、お車をお貸しくださり、ペンションとスタジオが離れているので、夜道を卒業生に送迎して頂きました。

また、私たちは、高速バスで合宿の現地まで行きましたが、夜道の送迎のために、お車でお越し下さった卒業生もいらっしゃいました。

そのペンションの方がお貸し下さったお車が、マニュアル車で、最近見なくなったそのマニュアル車を運転出来ることに、先輩方が大変喜んでおられました。

このようなことも、合宿ならではでしょう。

お稽古は小林教授が入り、厳しくみて頂き、しかし、帰ったペンションでは、まだ私はお酒が飲めませんでしたが、小林教授を含めクラス皆で杯をあげ、本当に楽しい時間でした。

そして、最終日には、毎年恒例のバーベキューが行われ、一年生の時には見ているだけだった、宴会芸にも今回はガッツリ参加し、皆で盛り上がりました。

一年生の時もそうでしたが、宴会芸で笑いを取る先輩方や卒業生をみて、「これが舞台人なのだなぁ」と、とても感動をしました。

今回の二年生は、前回の一年生の時とは違い、色々とありましたが、それでも、無事に合宿稽古を終えることが出来ました。

今回は課題曲が難しいかったので、先輩方に夜中までご指導頂きました。

それが、本当に純粋で楽しい時間でした。


今回は長くなりましたが、ここで、記事を終わりたいと思います。

ありがとうございます。

それでは、また、会いましょう。