光孝寺の歴史は長く「千年仏教古寺」と言われている。元々は南越王の子孫である趙建徳の住居。その後漢、三国、東晋を経て唐代に報恩広教寺、南宋時代改名し「光孝寺」として現代に至っている。かの有名な鑑真もここで勉強している。
院内のどの建物も新しく建て替えられており、古さを感じさせないが鉄塔、石塔など不燃物のみが古さを語っている。
この双塔も相当古く、唐代のものらしい。ここでもマッチョのあんちゃんが熱心に参拝している。吾輩は又思うに、中高年層の参拝者が若者より少ないのは文革時代に宗教が徹底的に弾圧されたせいではないかと推察する。その際に仏教、道教寺院の文化財がかなり破壊されている。
この大木は菩提樹。千年の古刹光孝寺の衰亡の歴史を見て来たにちがいない。聴診器を当てて聞いてみたいもんだ。
この鉄の燈明台、溶かされずよくぞ残っていた。「光孝寺」とあるから改名した南宋以降だが年代を感じさせる。
小腹がすいたので光孝寺の門前街で「鳳爪排骨飯」(12元・180円)を食する。(今回の広州市塔の見て歩きではPENTAXの一眼を使っているので写真が割に様になっている気がするが・・)



