「家電ディスプレイ 創る会社。」ワークスタジオのメンバーブログ -76ページ目

「HARAさん ありがとうございます」

先日HARAさんからメンバー全員に、肉まんの差し入れがありました。

おそくなりましたが

「ごちそうさまでした」

HARAさんがコンビニで肉まんを買っていた時に

「あ、みんなに買っていってあげよ」

みたいなシーンが創造できます。




普段からメンバーのことを思っていなければ

コンビニで自分の買い物をしている時に

こういう行動へは移りません。

HARAさんのメンバー思いに

「ありがとうございます」



グッとくる会社へ。

2009年4月1日

ワークスタジオは

新しく生まれ変わります。

グッとくる会社へ。

「1エン玉募金ノススメ」

去年から‘24時間テレビ愛は地球を救う’に向けて
ペットボトルにせっせと1エン玉を貯めています。

去年の8月、初めて新宿会場に
1エン玉のイッパイ詰まったペットボトルを持って行きました。

私たちは
今日・明日食べるノモに困ることはありません。
雨風を凌げるウチもあります。
寒さに凍えるコトもありません。
仕事もあり毎月お給料も貰えてます。

人間って
そういう恵まれた状況に
「感謝」することがナカナカできません。

‘あたりまえ’だと思ってないでしょうか?

始めたキッカケは
単純に、今の状況に「感謝」しようと思ったからです。

買い物や食事の支払の時
1エン玉は出しません。
出来るだけお釣りで1エン玉が貰えるような支払方をします。
意識すると結構貯まるもんです。

帰ったら
財布の中の1エン玉を
ペットボトルに入れます。
今日はちょっと少なかったな…
今日は多いな!
みたいな感じで。

なんで1エン玉なのか?

1エン玉にするコトによって
「感謝」を意識する回数が俄然増えます。

支払の度に
ペットボトルに入れる度に
ペットボトルに1エン玉がドンドン貯まっているのを見る度に

常に「感謝」を意識できると思ったからです。

募金の時だけ
財布から1000エン札を出して募金箱に入れたら
意識できる回数は1回だけです。

同じ1000エンでも
1エン玉にするコトによって
1日に何回も意識することができます。

日本中の人が
1エン玉募金の為に
せっせと1エン玉をペットボトルに貯めたら
きっと1エン玉の流通量が不足して
日銀は1エン玉を発行しなくてはならなくなります。

‘1エン玉の流通量が不足!日銀が1エン玉を緊急発行!
 原因は国民が募金の為に1エン玉をペットボトルに貯めてるからと判明!’

こんなニュースを見てみたいと思ってるのは
私だけでしょうか???

今年も1エン玉のイッパイ詰まったペットボトルを持って
募金会場に駆けつけます!

















‘グローバルショップ 2009’

アメリカ最大のディスプレイ見本市である
‘グローバルショップ 2009’が
3/23~3/25までの間
ラスベガスで開催されます。

ワークスタジオがら
SUGIMOTOさんと TAKEさんが
1週間視察に行ってきます。

ニューヨークで
最新のディスプレイを視察した後
ラスベガスで
グローバルショップと
ラスベガスの最新のディスプレイを
視察してきます。

ワークスタジオと取引のある
デンマークのあるメーカーのお偉いさんも
グローバルショップに視察に行くとのことで
せっかくなので逢いましょうということになり
ディナーのお誘いを受けています。
それも先方が宿泊している
ラスベガス最新の5つ星超デラックスホテルで!

2人にとっては少々気が重いようですが
とてもいい経験になると思います。

きっとフレンドリーな関係を
構築して帰ってきてくれると思います。

アメリカの最新のディスプレイの視察
デンマークのメーカーのお偉いさんとの関係構築
同じツアーに参加している日本のメーカーさんとの関係構築
3つの課題を背負ってもうすぐ飛び立ちます。

大きくなって帰って来い!













クリエーションの軸

久しぶりに
建築家・原広司さんの
「集落の教え100」(彰国社)
を読み直してみました。

「集落の教え100」は
建築家・原広司さんが
長年にわたる世界中の集落調査をとおして受けた
空間デザインに関する‘教え’です。

原さんは設計の前に
この‘教え’を読み直すそうです。
原さんはこの‘教え’を
クリエーションの軸にされているのでしょう。

原さんの設計である
ヤマトインターナショナル本社ビルや
梅田スカイタワーや
京都駅ビルなど意匠の異なる建築を見ても
そこにはクリエーションの軸があり
共通言語が存在します。

他の著名な建築家の建築にも同じことが言えます。

私の敬愛する
インテリアデザイナーの倉俣史朗さんにも
クリエーションの軸があったのだと思っています。
私はそれは‘夢’ではなかったのかと思っています。
それを補完する手段として‘素材’があり
決して‘素材’が先にあったわけではなく
あくまでも軸は‘夢’であったのだと思っています。

私たちも
その場限りの後付けの理論ではなく
クリエーションの軸
を持たなければならない。

久しぶりに
「集落の教え100」を読み直して
そう感じました。