今年「高知よさこい祭り」に初出場する、岡山の踊り連「まるぐ」さん。

サイト まるぐ ホームページ

 

の、サポートスタッフとして8月10日から高知に行ってきます!

 

なぜ「まるぐ」さんのサポートをすることになったか、ちょっと書こうかな。

 

 

まるぐの代表、ぐっさんこと坂口くんは、もともと私が友人とともに立ち上げたチーム

「凛夏(りんか)」のメンバーでした。

→私のうらじゃ遍歴 

 

2003年に友人ふたりと私の3人で凛夏を結成し、すばらしいメンバーに恵まれながら、

自分たちが表現したい演舞をつくっていたのですが、

5年後にはある程度やりきってしまい(笑)

2007年のうらじゃ終了後、凛夏を解散することにしました。

 

2007年うらじゃにて(チームの平均年齢35才ぐらい)

 

打ち上げで、立ち上げメンバーから踊り子さんへ解散と御礼の挨拶をしているとき、

「このまま凛夏を終わらせません。自分たちが引き継ぎます」

と言ってくれるイケメン3人が登場びっくり

 

それが2代目の代表になる高瀬くんと、

結成時から私たちと一緒に凛夏を引っ張ってくれていた永原くんと、

現在のまるぐの代表、ぐっさんでした。

 

 

↓永原、ぐっさん、高瀬くんと

↑立ち上げメンバーのともちゃん、えんみさん(初代代表)、私

 

 

「岡山でいちばんかっこいいよさこい連になる」という思いで始めた凛夏が

だれかの心に響き、残すべきチームとして引き継いでくれる人たちが現れ、

私もえんみさんもともちゃんも、本当に感動しました。

 

感動というか。。。もう言葉にならない感情だったな。

ありがたくて、うれしくて、仕方なかった。

 

 

踊り連をひとつ抱えるというのは、簡単なことではないです。

利潤がまったくない、完全趣味の世界において

チームの目標が何かとか、何がチームの成果になるかとか、

運営とメンバーの思いが違うことも多々あります。

 

だいたい、チーム理念に賛同して自分の所属を決める踊り子さんは少ないです。

「どんな人がそのチームにいるか」

「どんな衣装を着させてくれるのか」

「どんな楽曲で、どんな演舞をさせてくれるのか」

「一年でどれだけの演舞機会があるのか」

踊り子さんがチームを決める理由は、大きく分けてもだいたいこのあたりでしょう。

 

 

私たちが退いた後、2008年からの凛夏の運営は

外から見ていてもわかるほどにハードでした。

若い3人がもがき苦しんでいる姿を何度も見たし、そのたびに

「一度は解散を決めてたんだし、凛夏やめてもだいじょうぶだよ」と話しました。

 

でも、そのたびに彼らはチーム存続のために動いてくれ、

一年も活動を休むことなく続けてきてくれました。

 

 

2010年を最後に、ぐっさんと永原が凛夏を”卒業”。

2012年にふたりが「まるぐ」を結成。

 

まるぐ2014

 

今年、まるぐ念願の「高知よさこい祭り」出場と相成りました。

 

県外から高知よさこいへ出場するというのは、簡単にできることではありません。

演舞制作にかかる経費(楽曲代・衣装代・振付代・

その他チーム運営にかかる経費)だけでなく、

岡山―高知の交通費はもちろん、現地での宿泊費、

地方車(4tトラックに音響設備を積んだ、1チーム1台の占有車)の制作費など、

合わせて実に数百万円にのぼります。

 

それでも高知に行く意味があるというのなら。。。応援するしかない!!

(なんせ、えんみさんとともちゃんは高知よさこいを経験した数がものすごいのだ)

 

今回のサポートは、いわば”今までのお礼”も兼ねてはいるけれど、

信用の部分だけでなく、単純に信頼ベースで「彼らを応援したい」という気持ちもありますはーと

 

 

凛夏も2011年、2012年を境に大きく様変わりしました。

それまでの社会人主体のチームから。。。

 

凛夏2012(チーム平均年齢25才くらい)

 

学生さんが半分を占める若々しいチームに!(笑)

 

凛夏の現代表である石川尭くんも、今回まるぐのサポートに入ります。

 

 

2003年の結成以降、今年まで

本当にたくさんの方が凛夏に関わってくださいました。

踊り子さんだけでも14年でのべ約700人!

 

 

チームは変わっても応援したい人たちがいる。

自分がその人たちのお役に立てる機会があるというのは

とても幸せなことですラブ

 

暑くて熱い高知での2日間、「まるぐ」のために頑張ってきます!