働くオンナの台所

ざわざわする、細胞が

ざわざわする、心臓が

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子供の決定権と親の選択

土曜日の午前

静かな京の一角に子供達の元気な声がこだまする。

宋美術館。


小学生の子供は決定権を多く持たない。

家族での外食は数少ない決定権のひとつであろう。

だがそれは、実は実は

親が単に「面倒だから」子供の言う通りにしているに過ぎない。

好きなレストラン、メニューのある店に行けば

子供がおとなしくちゃんと食事をしてくれるからだ。

実は子供に決定権を与えているのではなく、

自分達が楽したいということが一番大きな理由だ。


実質的に子供達が与えられている決定権というものは少ないと思うのだ。


それが故に子供の頃に

どんなものを見

どんなものに接し

何かを感じる機会を与えてもらえるかは

その子の将来に大きな影響を与えると言っても過言ではない。


今回の親と子の展覧会に来た子供たちは

子供が望むか否かまた

喜ぶかどうかは別として

ほぼ100%が親の選択と決定により

半ば無理やり連れてこられている子供もいるかもしれない。


しかし、子供というものは順応性が高く

創造力を発揮して

何でも遊びにしてしまう能力がある。


子供たちが創造力を養い

強くたくましく

困難にも立ち向かえる人間に育っていくには

大人がモノを与えるのではなく

チャンスを与えてやることが大切だと思うのだ。


展覧会のスタートを待つ子供たちを見て

僕はこの美術館がやろうとしていることの

意味とその重要性を考えていた。

美術館というものは個人のコレクションや資財を

社会貢献や文化や歴史の保存や継承等という目的を持って

社会へ子供たちへ提供している。


しかしながら、日本の美術館では子供の姿はあまり見受けない。

ヨーロッパやアメリカの美術館では

子供たちが床に座って

世界の名画を模写する光景をよく目にする。



日本では皆無に等しい。

日本では床に座り込む行為自体が行儀が悪い等と

非難をあびる可能性がある。


日本の美術館での日本人は

妙にお行儀がよく

気持ちが悪いぐらい

静かに美術鑑賞をする。

美術の鑑賞を楽しんでいるのだろうか

と疑ってしまう時さえある。


日本では美術館等には一切縁がないような

ブランド大好き日本人女性が

なぜか海外に行くと

怒涛の様に美術館に押し寄せる。


日本にはこれだけ素晴らしい

他にはない文化と美術があるにも関わらず

日本人はつとに日常生活において

美術と縁遠い気がしてならない。


子供の頃から美術に接していると

その裏側に歴史とメッセージが存在することを

子供たちは鋭い感性と触覚で感じ取っていくのではないかと思う。


瞬間的ではあるが

美術に限らずひとつひとつの出会い

-すなわち経験であり体験というものが

人の心を感じ

思いやり

考える力を

育んでいくのではないかと思う。


こうして、著名な作家であり館長である宋吉左衛門自らが

子供たちと一緒に土とたわむれる企画は

これからの日本の子育てに、教育に

重要な役割を果たしていくのだろうと

期待してやまない。




強さと弱さの根幹

目が覚めると

カーテンのすきまから光がさしていた。


夢も見ず

深い眠りについていたようだ。


暗闇の中で

赤ちゃんの様に丸くなっているシルエットがかすかに見えた。


7時をまわったところ。

僕は働くオンナを起こさないように

のどの渇きを潤した。


全く覚えていない

記憶が飛んでいる。


ベッドに横たわって昨日のことを思い出していた。

確か昨日京都に来たんだ。

長い一日だった。

何があったわけでもない

ただ、ゆっくりと紐解かれた働くオンナの過去が、人生が

あまりにも強烈で衝撃的だったからかもしれない。

悲惨という言葉では到底表現できない

何とも形容しがたい痛ましい子供時代だ。


働くオンナの強さと弱さの根幹を見た気がした。


もぞもぞと動き出した。

働くオンナが起きたようだ

いやずっと起きていたのかもしれない。


「おっす。」

がばっと起き上がり

そう言ったかと思うと

カーテンを思いっきり開けた。


僕はその瞬間目を瞑り

窓に背を向けて言ってやった

「乱暴なんだよね、もうちょっと繊細にできない?」


働くオンナは僕の言葉を気に留めもせず

僕の飲みさしのペットボトルのミネラルを飲み干した。

「この方が気持ちいいのよ。

朝の光を一気に浴びると、体も心も元気になるのよ。」

説得力があるから言い返せない

まぁいいや、たいしたことじゃないし・・・。


昨日のこと覚えてるのかな。

僕は少し気になったが

あえて何も聞かないでいた。


僕たちは軽く朝ごはんを済ませてから

プールでひと泳ぎしてゆうべのアルコールを飛ばした。


「初日から濃い一日だったね」

ミネラルで全身の汚れを流すようにボトルを一気に飲み干し

働くオンナは言った。


「昨日の一日も濃いけど、私の人生も結構濃いでしょ」

悲しく笑った。


僕はサラッと一緒に笑うべきだったのか

戸惑いを隠すために立ち上がり

窓の外の遠く山々を眺めた。



自分のアイデンティティがわからない

自分自身をまだ真正面から受け入れることができない


僕たちは結局のところ似た者同士なのだろうか。

だから、一見接点がない

男と女の関係でもない二人が

友情や恋愛感情を超えて

何か理解し合い、妙な人間関係を継続できるのかもしれない。



この国の人間関係が希薄だと言われて久しい。

しかしインターネットやゲームなどという仮想の世界では

掲示板やブログなど、どこの誰だかわからない相手と

コミュニケーション、対話を図っている。

ネットの世界ではある意味コミュニケーションが成立しているのだ。

しかも、そこには何か歪んだアイデンティティや共通語があり

似たような生き方

似たような思想と言っても過言ではない排他的な考え方

そんな人間たちがたむろしている。

へたすれば、そこには人間関係まで成立するのだ。


若者にとってはインターネットはもはや仮想ではなく現実の世界だ。

僕たち二人は社会でそれなりに真っ当に生きている。

人に迷惑をかけることもなく、仕事もちゃんとして生計をたてている

僕はまだまだ売れてないカメラマンだけど。

少し変わった経験がある以外は極々普通だと思う。

インターネットでコミュニケーションを図る彼らと

一帯何が違うのか-と考えてしまうことがある。

もしかしたら、何ら変わりがないのかもしれない。


妻とコミュニケーションが図れず

相手の気持ちを汲めず

定年退職と同時に妻に三行半をつきつけられるオヤジ達が、

集団で高級店にランチに繰り出し

周りの迷惑を顧みず

人の話を全く聞かず大声で話すおばさん達が、

双方向のコミュニケーションを

相手を思いやる気持ちを持っているのかと

疑問に思う。


今のネットやアニメ、ゲームが生み出した計り知れない社会的影響

技術、経済、利便性、可能性、チャンス・・・挙げだしたらきりがない。

しかしそれによる弊害も大きい。

自然な摂理だとも言える。

こちらを取ればあちらが立たず

経済や技術の発展、進化には痛みも伴うのか。


今の日本を作り上げてきた団塊の世代

いやその上の世代、あとに続く世代を批判するつもりはさらさらない。

だが、今の若者を一方的に批判できるのか

というと疑問に思う。


子供を育てるのは大人の重要な役割であり

責任なのであるから。

2階のバー

必ずまた来ると約束をし

店を後にした。

感想は言わない。

言葉にすると

この心地よい余韻が消えてしまいそうになる。

先斗町の石畳を一枚一枚

数えるように歩いた

子供の頃のように。


路地を入ったところにあるバーに寄った。

先斗町には路地にもお店が結構ある。

インターフォン越しに客であることを告げると鍵を開けてくれる。

細く急な階段を上がる。

薄暗いカウンターのバーだ。

静かに低く流れるサックス

コルトレーンか。

京都にはなぜかJAZZが合う。


ワイルドターキー12年

チンザノドライ

ロックで。


おもてなしの余韻に包まれながら

氷に身をゆだねる琥珀色の海を眺めていた。



「私はね、一人で生きていける強いオンナじゃないのよ。」


そんなことは言われなくてもわかっている。


「オトコが嫌いなわけでもない。

でも恐いのよ・・・」


僕は御所の緑の木々をまぶたの裏に浮かべながら

働くオンナの話を思い出していた

初めて聞いた働くオンナの家族のこと

そして別れたオトコのこと。


物語を読むように語り始めた。



父は常に女が何人もいたわ。

母はその数ある女の中の一人なのよ

父からすれば。

結婚してるとか

子供がいるとか

そんなことは関係ない、あの人には。


娘に対する愛情なんてまったくない

いやもしかしたら私の体が女になることをただ待っていたのかもしれない。


父は週に何度か帰ってきたわ。

父が帰ってくると

母へたな化粧をして着飾って

まるでホステスみたいに父の隣にべったり座って

嬌態を見せていた。


おろかで隠微


私はそれを見るのが嫌だった

気分が悪くて反吐がでそうだった。


そんな不潔なものを見て育ったから

男と女というもの

愛というものが醜く汚いものだと思ってた

思うのも仕方がない

子供なんだから

それしか知らないんだから。


だから思春期に恋なんてしなかったわ

男を見るとみんな父親みたいになるって思ってたから。

そして自分も女になりたくなかった

母みたいに。


だから私は高校生になっても

大学生になっても

大人になっても

誰も愛せなかった

何も感じることができなかったのよ。


それがあいつに出逢って初めて

何かを感じたの

あの透き通ったビー玉の様な目に。


信じることができた

愛することができた

感じることができた。

愛し合うことが

男と女がこんなにも美しいものだと

教えてくれたのはあいつだった。


両親のことも話せた

初めて

包み隠さず。


父に抱かれながら

父の腕の中で

sexしながら母が自殺したことも。

鴨川納涼床

鴨川納涼床-夏の風物詩だ


「えっうっそー貸しきりですかぁ?」

「へーそうどす。うちは一日一客様しかお受けしてへんのどす。」

「すっごい贅沢だね」

僕は寿司詰め状態の並びの床にチラッと目をやり

この店を選んで正解だと思った。



いらないものを全てそぎ落とした

引き算のもてなし

つかず離れずの客との微妙な距離

素材を活かしたシンプルな日本料理

おいしいお酒

そして贅沢な空間


川べりから聞こえる若者達の喧騒

酔っぱらいが騒ぐ声

全てが風に流されていく

見えないベールに包まれた

音のない世界で

ふたり何をか思う

千利休の茶の七則というものがある。

働くオンナからの命令に近いお願いで旅の前に少し調べたのだ。


千利休茶の七則というものがある。

1.茶は服のよきように点て

2.炭は湯の沸くように置き

3.花は野にあるように

4.夏は涼しく冬暖かに

5.刻限は早めに

6.降らずとも傘の用意

7.相客に心せよ


このおもてなしとしつらえの心がこの店にはある。


千利休の茶の七則に由来するのかはわからないが

この美しく文学的なおもてなしという表現と心

これは日本が誇るべき文化であり

守り続けていかなければならないものだと

僕はこの旅をきっかけにして知り、そして感じた。


僕はまた思い出していた

あのバイト帰りのことを

カップルの間に遊びで座ったことを


あの後あいつは言った

みんなにつき合えばってからかわれて言ったんだ

「いいかもしれなぁぁぁい。うまくいくかもしれなぁい」

気持ち悪いぐらい高い裏声で。


みんなが笑う

他愛のない悪ふざけだと。

誰も本気にしてなかった

僕以外は。


だって

あいつは


男なんだから。


先斗町

気がついたらホテルに着いていた。

僕の頭の中は

会ったことのないカメラマンと

泣き崩れた信州での働くオンナの姿が

走馬灯のように駆け巡っていた。


カメラマンだったなんて

初めて知った。


自分の体が火照っているのを感じた。

僕は暑さのせいでも

働くオンナの話を聞いたからでもなく

自分の体の奥深く

いや足元から地球、宇宙に続く自分の根源から

マグマの様に沸々と何かが湧き上がるような感覚だった。


いや、働くオンナの話が静かに振動をおこし、

湧き上がってきたのかもしれない。


そんな自分の動揺を覚ますかのように

僕はホテルのプールで無心に泳いだ。

水面の向こうに消えては現れるあいつの顔をかき消すように・・・。



働くオンナは先にシャワーを浴びてホテルのエステに行った。

普段は出来ない旅の贅沢だそうだ。



心の奥底は別として

僕たちはさっぱりとして京の夜の街に出た。


今日は先斗町にある昔お茶屋だった店にいく。

京都の夏の風物詩、鴨川納涼床を出している和食の店だ。

河原町三条でタクシーを降りて歩く。


またざわざわする。

のどが渇く。

地の底から、宇宙の彼方から

湧き上がる何かを止めるのが精一杯だった。


7年ぶりの京都

7年ぶりの河原町。


三条通りを東へ歩き、三条大橋の上から鴨川べりを眺めた。

等間隔にカップルが並ぶと言う鴨川ぞい。


学生の時、僕も並んで座った

あいつと一緒に。

等間隔に座れるかためそうって

みんなでバイト帰りに盛り上がって

僕とあいつが座ることになったんだ、遊びで。

残った奴らが歩幅で両隣のカップルまでの距離を測った。

そしたらピッタリ同じ間隔だった。

すげぇすげぇってみんな喜んじゃって

お前らつき合えば

なんて言いながらからかって楽しんでいた。

僕にとっては

おもしろい冗談ではなかった。

本気で本気でそうなりたいと

本気で本気でこのまま二人にしてほしいと

そう思っていた。



「ほんとに等間隔なんだね。

びっくりぃー。

おもしろいよね、人間って。

できるだけ隣とは距離をおきたいっていう

強い願望というか心理が

定規の様に距離を測るんだからねぇ。

愛があれば、距離だって測れるって感じね。

あぁー、私には測る距離も愛もありませんわぁ。」

なぜか最後はおかしな京都弁を発した。


来た道を少し戻り、橋の袂を下がって先斗町に入った。





「これが歌舞練場だよ。」

「ほー、よく知ってるねぇ。」

「一応5年ほど住んでたしね。」


僕たちは先斗町を少し下がったところの「石田」という店に入った。

「おいでやすぅ。」やわらかい京女の声と

「おこしやす!」板前の威勢のいい声が二人を出迎えた。


「お暑いとこ、よーおこしやした。おおきにぃ。さぁ、どおぞぉお上がりなっとくなはれ。」

二人は何やら手厚い出迎えに恥ずかしさを覚えた。

京ことばのせいであろう。


「京都は初めてどすか?」

「いえ、何度か」

「あーそーどすかぁ、ほなうちらより、京都のことよー知ったはんのんちゃいますやろかぁ」

そんなほっこりした女将との会話で

僕のざわざわは鴨川の風にのって消えていた。



プリミティブな愛

「どうしてなの、どうしてなのよぉー!」

どれ位そうしていたのか

私はアイツの胸をドンドン叩いていた。

泣きながら

体中からあふれる悲しみと涙を

止めようともせず

叩き続けていた。


悲しみ?いやそんな単純なものではない


子供の頃に迷子になった時のような-

突然親が自分の目の前からいなくなって

ひとりぼっちに。

自分がどこにいるのか

どうすればいいのか

途方にくれて

泣くしかなかった。


津波のように襲ってくる不安と恐怖そして悲しみ

何が起こったのか

何をどうすればいいのか

何を言えばいいのか

なにも、なにもわからなかった。


アイツと初めて仕事で会ってから

アイツが眼をキラキラさせて語ってから

私は氷が溶けていくように

肩に圧し掛かっていた錘がひとつずつ取り除かれていくように

アイツに魅かれていった。


私たちはむさぼる様にお互いを求め合った。

体を合わせ、絡め合い、愛し合った。

sexという快楽的また動物的行為ではなく

もっとプリミティブなものだった。

一体になることを求めるのではなく

相手を信頼し、思いやり、愛しみ、心からのエクスタシーを感じていた。

一切の「欲」というものがそぎ落とされた

純粋な愛だった。

そしてアイツは旅に出る。

また一人の生活に戻る。

私は満たされていた。

アイツがそばにいなくても迷子にはならなかった。

いつも愛してくれている

抱きしめてくれている

初めてそんな大きな愛に包まれた気がした。

私は愛というものを知らなかった。

誰からも愛されたことがなかったのだ。

もちろん愛したことさえも。

両親はいない。

いや、父はいる

どこかに。

母はいない、この世には。

うつ病の果てに自殺した。

父が殺したのだ

直接手を下さなくとも

父が母を自殺に追いやったのだ

そう私は思っている。

母は父を愛していた。

私のことなんかどうでもよかったのだ。

母は父に抱かれることが

それだけが彼女の喜びであり

父の愛だと信じていたのだ。

愛を知らない人に育てられ

愛を知らないままに自殺した人に育てられた私が

愛を知っているわけがない。

かぼちゃの具いっぱいスープ

夏バテの食欲減対策メニューとしてこれもオススメだ

僕はこれとフランスパンと白ワインが結構好きなんだ。

それに生ハムとチーズがあればカロリー的にも栄養バランスもOKって感じだ。

しかもスープさえ作ればあとは切るだけだからなぁ。

手抜き料理としてはこれも優等生だ。


ちなみに、関西ではかぼちゃのことを「なんきん」と呼ぶ。


かぼちゃの具いっぱいスープ


材料

玉ねぎ1個、かぼちゃ1/2個、スープもしくはだし汁(お好みで)カップ3、牛乳カップ1


作り方

1.玉ねぎはスライス、かぼちゃは1口大にきる



2.玉ねぎをなべですき通るまで炒める。※中火

3.かぼちゃを入れて、炒め合わせる。



4.スープ(だし汁)、牛乳を入れ、かぼちゃが柔らかくなるまで煮る。※強火→沸騰したら中火



5.かぼちゃを適当につぶしながら混ぜ、塩こしょうし味を調える。※かぼちゃはわざとつぶつぶを適当に残す





京都の男

宋美術館はホテルから歩いてスグのところにあった。

場所の確認を兼ねて周辺を散歩した。

今回の旅の目的は一応取材なのだから

いやいや一応ではなくそれがメインであって・・・

誰に言い訳してるんだ僕は

と自分で思った。


この界隈は西陣と呼ばれている。

伝統の西陣織を育ててきた織物の町だ。

宋美術館の前を北へ上がっていくと、茶道三千家がある。

京都らしい町並みを歩きながら東京からの疲れを癒していた。

今出川通りを東に歩き、京都御所を散歩しながらホテルへ戻ることにした。


「こっちに友達とかいないの?」

「いないことはないけど、今付き合いがある奴はいないね。」

「ふぅうん。私ね昔京都のオトコと付き合ったことあるのよね。」

働くオンナは大切にしまいこんだ記憶を紐解く様に語り始めた。


アイツと出逢ったのは、25歳の時。

今から考えると私はまだまだ子供だった。

社会や仕事のこともまだ一人前にわかってないのに、

肩肘張ってがんばっちゃってた一番生意気な頃

そんな時に出逢った。

会社は女ばっかりで

意地悪な奴も多かったし

みんなそれなりに優秀で仕事ができるからか

ギスギスしちゃってて

本当に居心地が悪かった。

結局男が女を使えてなかったのよね。

仕事も忙しくて当然休みもほとんどないから

当たり前のようにストレスも溜まってた。

そんな時に出逢うと、誰でも運命の出逢いだなんて思っちゃうのよ

私もバカだったからね。


アイツはあんたとおんなじカシャカシャする人だったの

カメラマン。

結構有名なんだよ、今。

日本だけでなくって世界中旅して写真を撮ってたの。

自分を、自分の想いを表現することが苦手な人で

いつも写真で表現してた。


インドの特集でその人の写真を使うことになったのよ。

それが出逢い。


その時は全然売れてなかった。

旅ばっかりしていて

お金もないし

ぼさぼさ頭に無精ひげ

必要なこと以外何にもしゃべらないし

愛想笑いもしない

嫌な感じって思った。


何度か電話でやりとりして

益々印象は悪くなってね。

これほどまで一緒に仕事をしたくないって思ったヤツは今までいなかった。

意地悪な女たちの方がよっぽどマシだった

仕事が進むからね。


それが一変してしまったのよ。

むさくるしいアイツが

ビー玉の様に透き通った瞳をして

ボソボソっとだけど

語ったのよ

インドの子供たちの写真を見せながら。


私は落ちちゃったの

それだけで。

バカみたいでしょ。


それがアイツよ

あんたがつきあってくれた信州への旅の原因を作ったヤツ。

私をボロボロにしたヤツ。

消えたあいつ

いつの間にか眠りに落ちていた。


僕は誰かを追いかけている。

泣きながら追いかけている。

追いかけても

追いかけても

逃げていく。

すぅーっと宙に浮くように立ち止まって振り返ったのは

あいつだった。

感情のない冷たい目で

僕をじっと見つめていた。


僕は必死になってあいつに近づこうとした

近づこうと必死に手を動かした

空をかくように

でも届かない

進もうとしても、近づこうとしても

届かない。

あいつに届かない。


あいつは僕から遠ざかるように

遠くに

遠くに

吸い込まれていくように消えていった。

僕をひとり残して。


目が覚めると

かすかに琵琶湖が見えていた。


すっかりきれいに片付いているテーブルを横目に

いそいでトイレに走った

夢から覚めて現実に戻る為に。


京都駅に降り立った。

夢の残像か

心なしか頭がボーっとしていた。

働くオンナが元気で明るいことが何よりも救いだ。


京都駅からタクシーに乗った。


ホテルは御所の近く

一度行ってみたかったらしい。

スタンダードツインルームを1部屋とっていた。


僕たちはいつも二人一緒の部屋だ。

別にオトコとオンナの関係があるわけではない。


それらを超越してしまった

兄弟の様な

友達の様な関係だから。

ホテル代も安くつくから

と働くオンナは言う。

僕も吝かではない。


エントランスとロビーはありふれたシティーホテルといった印象。

でもサービスがいいらしい。

働くオンナが数人から同じコメントを聞いたそうだ。

僕のサービスとどっちがいいだろう

なんてね。

与えられたテーマ

「食欲ないの?」


何分ぐらいそうしていたのかわからなかった。

手の中のビールは空っぽだった。

いつの間に飲んだんだろう。


「全然食べてないじゃん。」


「そんなことないよ。」

時間と記憶が飛んでいる。

食べてないんだ・・・

箸は袋に入ったまま。


僕は食べることを思い出したように

せかせかと箸を動かした。


プシュッと軽快な音を立てて働くオンナは2本目のビールを開けた。

そして取材の資料を取り出し、徐に語る様に話し始めた。


「今回はね
茶の湯の為の茶碗だけを造り続けている宋家、宋長兵衛

日本の歴史と文化が刻み込まれた宋茶碗

それが主役じゃなくって

そんな偉大な歴史と文化の中で育まれた宋茶碗、宋長兵衛に対する

子ども達の眼、目線、感じ方、接し方を表現したいのよね。

純真無垢であろう子ども達の。


熱い。

仕事に対する情熱は人並みはずれている

と言っても過言ではない。

いやそれだけではない

ひとに対しても、だ。


この尋常じゃない情熱を理解できず、ついて行けないヤツもいる。

それはそれで仕方がないといつも僕は思っている。

自分の考えをしっかり持ち

情熱を持っている人間は

疎ましく思われることが往々にしてあるのだ。


「変にわかった様な言葉で

わかった様なことを

日本の歴史や文化を

あくまでも美しく表現しようとするんじゃなくって、

ある意味汚れてしまった私達大人の邪な心や思惑をキレイサッパリ取り払って

子ども達がどこに、どんなことを感じてどんな表情を、どんな眼をするのか

それを表現したいのよね。」


「その想いはよくわかるよ。

・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・

でもさ、ものすごく難しいことだと思うよぉ。」


否定ではなかった。

できないとも思っていなかった。

ただ、

これは表現をする者として

ある意味

挑戦に近いものだと

僕は思ったのだ。


きっと

思ったようにうまく表現できず

苦しんでしまう

働くオンナが。

・・・かもしれない。



子ども達は何も話してくれない。

映像もない。


てことは、

僕の写真が重要になってくるってこと

なのか。


僕に挑戦しろ

ってこと

・・・・なのか。