人の揚げ足取りのようだが、ちょっと気になった発言があったので

残しておこうと思う。

 

何かというと、「令和六年能登半島地震」について、

この災害を映画『すずめの戸締り』に絡めて言っているようだが

「スサノオが暴れ出してしまいます。

鹿島神宮や香取神宮にある要石を拝みに行こうと思います」と言っていたのだ。

 

まぁ、よくいる『スピリチュアル』なヒトの発言なわけで、

そんな世迷言は「捨て置け」なんだが、

スサノオ=巨大地震を起こす=悪なのか? という、この考察が気になった。
 

地震と要石の話は有名だが、それはナマズを抑え込んでいるのではなかったか?

彼女が元ネタにしている映画でも(巨大な)ミミズが地震の原因のようであり、

スサノオだとは語られていない。

だが、彼女(スピ系)にとっては、スサノオなのか??

 

むしろ、スサノオにとって北陸(昔は越の国)というのは、

「国引き」の話として神話の中にもでてくる統治していた場所である。

 

『出雲風土記(733年)の国造り神話に、

 高志(こし)の都都(つつ)の三埼を余ありやと見れば、

 国来国来と引き寄せて三穂の埼ができた』

 

※「珠洲市観光サイト」珠洲市の紹介「珠洲」という名前について から一部抜粋 

 

もし、そのスサノオを封印というのであれば、

越の国(高志)が国津神から天津神に統治が遷ったからではなかろうか?

または冥府の神として「根の国」という表現で杵築大社へ祀られたからか?

 

 

もし、大地震がナマズやミミズではなく、

龍であった場合(あぁ、今年の干支も「辰」ですね)

もしくは、オロチ(大蛇)と呼ぶ場合、退治ができるのはスサノオ一択である。

それならむしろ、スサノオの力を借りた方が良いのではなかろうか。

 

スサノオといえば、地震が起こったり水害があった際に

制御不能となる「川」を操れたという能力を持っているため、

暴れ川の多い地域には氷川神社(氷川=斐伊川が語源)が多く祀られている。

 

近所に住む人、川の土木工事を任されていた人々は、

暴れ川を畏怖し、恐々と祈るだけではなく

スサノオの能力を自分に貸してほしいと、日々、精進したのではなかろうか。

 

正月の大地震が起きた翌朝、朝から坊さんが怒っていた。

「祈るなんて一般人がやってはいけない。

 そもそもあなたたちに祈る作法がわかるものか」

 

一見この言葉だけ読む(聞く)と

「うわー、ひどいこと言うなー」と思われるけれど、ちょっと、冷静に考えてくれ。

 

坊さんや神社の宮司さんたちは毎日欠かさず、国家安泰・世界平和を祈ってるわけ。

それが仕事だからだ。

毎日祈っているのに、それでも震度7の地震が起こった。

仕事にしている人なら、沽券に関わるよね。

 

だめじゃん。ご利益ねーな。

全国の寺社は正月からなにやってんだ!地震も弱められないのかって。

 

結果、止められなかったんですよ。

毎日早起きして祈っても震度7だった。

津波も来た。街も火事になった。

水も電気も止まって、生きるか死ぬかって寒さの中に人々は放り出されている。

 

さぞ、彼らは悔しいのだろう。力が足りんかったって。

もし、悔しくない人がいたらそいつは職業としての宗教家じゃないな。

それをさ、たかが1年に数回(数十回の人もいるかもしれんが)寺社参りをする

一般人が祈って、止められるかって? 

それで、坊さんは怒ったんだ。

つまり、自分にね。

 

そして私たちには、「あなたたちは祈るだけではなく、行動しろ」って。

神仏に心の中で祈って終わりじゃなくて、行動して助けろって。

そんな意味をこめたメッセージだったと思うのさ。

 

「私たち、被災している方がにむかって祈るしかないし」じゃなくて、

立ち上がろうよって。もちろん、今じゃない。

災害からの72時間はプロの救助のひとの仕事だ。

一般人の出番はその後だと。

 

2日に起きた羽田空港での航空機事故も

「乗客乗員がケガ人あけれど全員無事でよかった、避難誘導した乗務員はエライ」

ではない。それに、「現場のミスだ」で終わりじゃぁない。

 

震度7という非常事態宣言が出されてもおかしくない、甚大な被害が出ているのに

空港(と国土交通省)は間引き運転も大してせず、

「自粛はよくない」とまるで国民の総意のように

通常運行と災害救助の便をどうして、一緒にさせていたのであろうか。

 

せめて、災害から72時間は「救助優先、旅客は間引き」の宣言を

どうして、実現することができなかったのか。

 

結果、5人もの方が殉職し、

旅客は飛行機に乗れない人たちで空港があふれ、なんとか新幹線を増発している。

これで鉄道でも大きな事故があったら、

日本の安全神話はどこに行ったと、さがさなければならない。

 

いろいろな意味で被災をされている方にお見舞い申し上げます。

災害にあわれ、また救助に駆け付けようとされたのに

亡くなられた方へお悔やみ申し上げます。

 

そして、私はどんなふうに貢献できるのか。

本当の意味での行動をしないといけない時が来たと

2024年の三が日、思いやられました。

 

本日の一言

「素戔烏尊の、守り給へる神国なれば、花の都の春ものどかに…」

(「草紙洗小町」より)