イニシエーションとしての「父殺し」・・・物騒な話題である。

心理学でいえばユング。

神話では「オイディプス王」の悲劇。

文学では「ドストエフスキー」の作品が代表される。

映画なら「STAR WARS」 ep4 ~ ep6の息子・ルークと黒づくめのベーダ―卿がわかりやすい。

 

イニシエーションとは「通過儀礼」である。

つまり、生なりの「人」は、父親殺しを通って「成人」する。

 

息子は家族の中で父親の傍で控え、父親の様子を見ながら育つが、

成長した息子は、

「我こそが世界の覇者」になろうと意志を持ち始める。

だが、家族社会の中で暮らす日々の中で覇者になろうとする息子の目の前には

父親が立ちはだかる。

 

一番小さい社会は家族である。

 

父親は家族の長であり、父である彼が存在するだけで

息子は「世界(家族)の覇者」にはなれない。

とはいえ、父親から逃げるというだけで、いきなり社会=世界にでてしまうと

家族社会とは異なる世界(=一般社会)の餌食となってしまう。

 

だから、息子は「父殺し」の儀式を通らなければ、家族社会の次のステージである

一般社会という「世界」にデビューし、生きていけないのである。

 

また、「父殺し」は言葉のままの「己の父親を殺害する」ということではない。

今の己を超えるために、父親へ挑む「儀式」である。

 

息子は儀式を通して、父親にかなわないことを悟るのである。

また、その父親がかつて自分の父に挑んだときと

同じ気持ちになったことを知るのである。

その父も、父の父も・・・

 

そして、父から離れることを決意する。

家族と別れを告げて「世界」に旅立つ。と。。。

 

時が経ち、彼はすでに自分の家族をつくり、父親になったかもしれない。

ある日、息子は故郷に帰るとあることに気が付く。

父親が老いたことに。

彼が倒せなかった父親はもういないことに気が付く。

彼の「父殺し」は完了し、いずれ、自分の子供たちに挑まれることとなるわけだ。

 

・・・とまぁ、非常に「健康的」な「父殺し」のストーリーだ。

 

では、この「父殺し」のイニシエーション=「通過儀礼」が出来なかった場合は

どうなるのか?

つまり、父が自分ではない誰かに殺されてしまった場合である。

それは、病気や突発的な事故かもしれない。

ある日突然、死神が連れて行った。

 

具体的に、自分以外の誰かが父親を殺した場合もあるだろう。

肉体での死ではないかもしれない。

精神的に?

 

存在が突然消えるという場合もある。

出奔、消滅。神隠し。

 

また、父殺しを挑んだときに、息子に刃を向ける父親もいる。

それも、「父殺し」の失敗にあたる。

そんな人いるのか?と聞かれそうなので、例を出しておくと

最古にはイサク(アブラハムの息子)やフリードリヒ2世がそれにあたる。

フリッツ大王のことだ。

 

イサクは殺されそうになったとき、天使(この天使の名前が無いんだけど、、、

知りたい)に助けられている。

 

フリードリヒ2世にいたっては、「父王の言いなりにはもうなりたくない」(父親はDV親父でもあった)と家出をしてしまったのだ。

だが、この家出を父王は「謀反だ!息子は私を殺すために外国に行ったのだ!!」と決めつけた。

DVを受けていた試練は乗り越えていたとしても、しょせんは王子さま。

オボンボンである。友達と逃げていたフリードリヒはすぐ、捕まってしまう。

DV親父の怒りはすさまじく、裁判所の判決も勝手に却下し

(裁判所の意味ないじゃん)「皇太子は死刑」と言い渡してしまう。

 

全ヨーロッパがどよめいた。

そりゃ、そうだ。
血のつながっていない皇太子ならいざしらず、自分の息子ですからね!!

 

王の周りの貴族たちは、この王を怒らせるのは得策ではないと思ったのか、

表立った命ごいをする進言をしていない。

 

むしろ、ハプスブルクの皇帝(マリーテレジアのパパ)や英国国王が「自分の息子であり、皇太子を処刑するのはやめてあげて」という内容の書簡を出している。

…とはいえ、これは、王の性格を知った上でまわりが「命ごい」をすることで、

本当に皇太子を処刑することを煽ったのではないか…と私は勘繰っている。

 

ともあれ、フリッツの処刑を救った「天使」は彼の年上の友達だった。

 

涙なしでは語れないカッテ少尉から王への手紙は、皇太子の処刑を中止させるに至ったのか。または、王の心には響かずとも、カッテ少尉の心打つ手紙はあまりにも残酷な仕打ちをしようとする王を、さすがの貴族たちも見ていられなくなり、彼らなりに王の怒りを止めようとできることをしたのか、とにかく、フリードリヒは条件付きで許された。

 

親に殺されそうになった皇太子はその後、父王が死ぬまで父王の望む息子を演じる。

嫌だった結婚もした。(政略結婚ね)

ケチな父親にならって贅沢もしない。

父親が嫌っている音楽や文学は興味が無いフリをした。

父親が趣味としていた軍治演習にせっせと参加した。

つまり、自分を押し殺した。

 

彼がしたことは、親が死ぬのをひたすら待ったのだ。

待つこと、2年。

DVの父親を死に神はとうとう迎えに来た。

 

正式に王となったフリードリヒはここでやっと、

父親に気に入られていた着ぐるみを脱ぐことができたのだ。

だが、出てきた自分は、かつてのような音楽が好きでメソメソしていたフリードリヒではなかった。

 

彼は親の期待した想像を超えることになる。

 

当時のヨーロッパを敵に回す勢いで、ハプスブルク帝国に戦いを挑む。

父親が創設した軍隊を自ら率いて。

親がケチケチ生活でため込んだお金も軍事に費やす。

 

親友を殺した世界すべてを破壊し、

新しい世界を作ろうと復讐する大王となるわけだ。

 

(女嫌いなのが余計に拍車をかけたのか『スカート同盟』(ハプスブルクの女帝マリアテレジア・フランスのポンパドゥール夫人・ロシアのエカテリーナ一世)が相手。

ていうか、フリードリヒも大概、少女趣味だからなー。

 

ちょっと、本題からずれるが書き手はフランスのベルサイユより、

彼が設計したサンスーシの宮殿が好きだ。

飾りのためにぶどう🍇を植えるとか、床を高くすると見栄えが悪いから土台はなしにするとか、建築的にはめちゃくちゃ…どうなの?!

 

ちなみに、宮殿の周りのブドウは飾りであり、フリードリヒ大王は庭に植えていた

さくらんぼ🍒を食べるのが好きだったそうである。

 

だが、ライバルがいた。庭にやって来る小鳥たちである。

鳥がさくらんぼを食べちゃうことに怒り狂ったフリッツ親父は

「撃ち殺してしまえ!」というのだが、

鳥を排除したことで、毛虫が大発生して、翌年のさくらんぼは食べられなくなった。

…という失敗談も残されている。

 

庭師さんは「ほーれみたことか。独り占めするからだよ」と言ったとか言わなかったとか。翌年から、木に実る半分のさくらんぼはライバルの鳥たちに残すことにした

フリッツ親父である。

 

 

ちょっと、横にそれてしまった。

つまり、親殺しが失敗、もしくは親に殺されそうになった息子は

(生還できたのであれば)どうなるのか?

 

自分が受けた仕打ちを他に転換しようとするのではないだろうか?

その名前は「世界への復讐」である。

 

フリードリヒのDVの父親の例は極端かもしれない。

それにまた、厳しい父親が先に死んでしまった例もある。

アレクサンドロス大王だ。

 

この人の父親もスパルタ教育(なんてたって古代アテネの傭兵ポジションだからさ)

だったわけで、母親は魔女だといわれているくらいで。

価値観が古代の人と我々とどれだけ、近しいのか遠いのかはわからないものだが

(それに場所もちがうしね)
アレクサンドロスの父親はどこよりも強い傭兵王となるよう息子を鍛えたわけだ。

 

だが、途中で夭折する。

息子にすべてを教えられてはいないため、彼のやったことといえば

父親がいない土地、父親が影響を与えていない新しい土地を探しに

はるか彼方へ遠征をした。

で、どんだけ、アレクサンドロスという土地名を付けたかって話。

 

インドのドラマだと大王は来ていることになっているしね?!
 

インドといえば、ちなみにだけど、お釈迦さんの像ってのは街のあちこちに作られたアレクサンドロス大王の像が見本だったととのこと。

それまでインドには人間の像ってのは作られていなかったんだって。

だから、インドのお釈迦様は西洋風の顔立ちなんです。

 

まぁ、インドから東南アジアや中国を経て、極東・日本に来る頃には相当平たくなっているんだけどね。

 

もう、最初の話から横にそれまくっているのだが、

ちゃぶ台をひっくり返す昭和の戦後親父でも、育休だとか育メンのロールモデルパパでもなんでもいいんだけど、父親の教育と父親からどう離れるかというのは、

子供の教育と社会に非常に大事だということなわけだ。

 

言い換えると、自分が当事者となる(殺す側&殺される側)勇気が必要。

だから、大人になるには家を出ればいいという簡単な話ではない。

同居だろうが近所だろうがイニシエーションとしての「父殺し」が出来ているか

それが大事だ。

 

出来ていますか?

 

 

【本日の一言】 ドストエフスキーより

苦痛と恐怖を征服した人間が、神となるのです。
そのときにこそ新しい生がはじまる。
新しい人間が生まれる。すべてが新しくなるのです。