せっかく読んだ本なので。
先日、購入した「MAID」メイドの手帳 Stephanie Landの著作を読み終えた。
邦訳副題には「最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語」とある。
あらすじを語るならば、そのままの内容。
是非、お手にとって彼女の叫びを読んでいただきたい。
ネタバレはしません。
本の帯の情報によると「2021年、NETFLIXでの映像化決定」とあるので、映像作品としても期待できそうですよ。
冒険小説は大好きだ。
冒険に出る主人公はお姫様と出会ったり、お宝を手に入れたり、時には決闘なんかもしながら、自分の冒険を通して、本当に帰りたかった「ホーム」を目指す。
ゴールはハッピーエンド。
「MAID」は、現実社会を突きつけられた弱者のハードな冒険小説だ。
ファンタジー冒険小説や、ドキュメンタリー冒険小説のように無事に生きて帰ってこれるのか、なかなか、主人公に幸せがおとずれないので、ヒヤヒヤした。
家族は存命なのに、どうして、彼女を助けてあげられないのかということを国の制度は理解をしない。
主人公の少女時代は幸せそうだ。
作者が描く中産階級と呼ばれていた時代の家族の思い出は美しいが、実際はどうだったのだろうか?
すでに、綻びはじめていたのでは無いだろうか。
というのも、彼女の家族、登場する男親(父/祖父)は親切だが、歎いてばかりの描写だからだ。
そうでなければ、財力も無い、職も無い、乳飲み子を抱えたシングルマザーの若い娘を路頭にほうり出すだろうか。
いやいや、わたしが知らないだけであって、こういった現実はありきたりに起きているのだ。
ただ、わたしは詳しくは知り得ていないだけ。
実際、相談はあるのだ。
だが結局のところ、福祉も支援同士の壁があって、連携できないことや、制度はあっても現金支給化されているわけではなく、即時性ではなかったり、とにかく最終的には、「本人の努力」をさせることになってしまう。
もうひとつ、思い出すことがある。
若い彼女はなにも職業訓練的なことも受けていなければ、高等教育(いわゆる学歴)もないため、「家庭内の掃除婦(MAID)」になるしかなかった。
この本の舞台は2008年頃のリーマンショックの不況のころだというが、
わたしが思い出すのはそれよりも10年くらい前の日本の話だ。
いわゆる「就職氷河期」と呼ばれたころ、全国の高卒/大卒/短大卒予定の学生が、採用がなく、就職難で困ったときの話で、妙に目に焼き付いているのは、「トイレ掃除の零細企業にも面談のために行列をつくる女子学生」といったような見出しと2階建てのそれほど大きくない事務所に延々と列をつくる求職者の写真だった。
あの時代から、わたしたちは何か学べただろうか。
自分は就職し、なんとかなったからセーフと、あの光景に目を伏せていないだろうか。
福祉は形だけになっていないだろうか。
身近な闇に目を背けていないか。
気になった話だった。