秋分の日から、ちょっと時期を逸してしまったのですがね。
面白い偶然に気がついてしまいました。
「寒川神社」と聞いたとき、思い浮かべるのはきっと、神奈川県の一の宮である
寒川町の「寒川神社」でありましょう。
秋分点と春分点とあわせて地球上では年2回、太陽が昇り降りるまでの時間と
暗闇が等分になることをご存知のことと思います。
それでですよ。
秋分の日にあわせてWeb広告で上がってきたのが、こちらの「寒川神社」でした。
広告の中では、神社の東から太陽が昇り、富士山の方角へ沈むということだった。
その記念でいかがですか~?てことなんだけどね。
うーん。富士山を通る。確かに広くとれば。
だが、箱根も入りそうだな。なんて。
なので、ほかも同様に秋分の日をお祝いをしていないか調べてみた。
手始めに、一番最初に見える日の出は東になるわけで、
銚子の犬吠埼が一番だが、ここには大きな神社のたぐいがない。
だが、ご近所は有名所でいっぱいだ。
鹿島神宮、大洗神社は海に近い。
格式でいうと高位の香取神宮もある。
謎の神栖(もともとは神之池と息栖というそうだ)もそばにある。
奈良時代からその存在を認められている歴史ある土地だ。
鹿島神宮の方ではどんなふうに書いてあるか確認をしたら、
鹿島神宮(と神栖/香取神宮あわせて三角形をつくる)→皇居を通って
→諏訪大社(の下社春宮大門=一の鳥居か?)へたどり着くと。
ふうん。結構なんでもありなんだね。
ただ、少し気になったのが「寒川神社」をもうひとつ、発見した。
千葉県千葉市の延喜式内・寒川神社である。
地図で見ると、大網街道、末広街道、旧東金街道等の街道がすぐ近くにある。
また、都川という河口に近く、この都川を寒川神社から上っていくと猪鼻城に
たどり着く。
つまり、この寒川神社の付近は交易の場であったのではなかろうか。
更に、時代が古いが有名な貝塚である加曽利貝塚もそれほど遠くない。
縄文時代に加曽利付近に住んでいた人が散らばり、
古墳時代には千葉県の今のベッドタウンになっているところには
村があって馬なんかも飼ってた(もしくは育成していた)なんてことも
わかっているので、奈良時代に千葉の寒川神社が式内小社というのは
当てはまるのではなかろうか。(この辺、議論中らしいけどね)
で、面白いと思ったのはここからで、神奈川県の寒川神社と鹿島神宮・神栖・香取神宮の三角形、これを結ぶと一直線になる。
更にだ。
伊勢神宮、高野山金剛峯寺、阿波(徳島県ね)の津峰神社、ここまで引ける。
太陽のとおり道がどうなっているかはわからないのだが、
面白い偶然の発見だと思って。
そうそう、神栖とのトライアングルは解消されてしまうけど、こんな感じになる。
鹿島神宮→香取神宮→成田山新勝寺(ここも真言宗だね)→式内小社・寒川神社→
→神奈川一の宮・寒川神社→伊勢神宮→高野山金剛峯寺→阿波・津峰神社
偶然かどうかは、「お天道様」がご存知な気がするわ。
本日の一言は折口信夫先生からいただきましょう。
「まことに、人間の遭遇ほど、味なものはない」