流行ってるなぁ、と思う(笑)
それを思う時、ふと
そういえば昔、
コーラルさんのセッションを受けた時、
ひつじちゃんの中には
黒と白の龍がいて、
楽しそうに、
嬉しそうに絡まって
くるくるひとつの丸になっている、
って言われたことがあるなぁ、
と思い出す。
記憶は自分の都合良く
変換されるものだから、
もしかしてニュアンスは違うかもだけれど、
言われた時になんか
太極図みたいだなぁと思ったことを
覚えている。
そういえばあの龍はどこにいった?と
スッと波長を合わせてみる。
・・・と、やっと気付いてくれたか!
とばかりにひつじにまとわりつく
白龍と黒龍。
すりりん、すりりん♪
と嬉しそうに絡まりながら
ベロンベロンとなめてくる(笑)
なんとまぁ、なつこい龍だこと(笑)
普通、龍っていうと
龍神をイメージしがちだし、
龍神っていうと“~じゃぞ”みたいな
話し方をするもんじゃないのかなぁ、
と思うけれど、
とにかくなんていうか
龍っていうか犬っぽい(笑)
あと、なんかしゃべらない?っぽい。
なるほど、ひつじについてるのは
龍神っていうか、
野良龍みたいな感じなのかも。
っていうか、“ついてる”ってのも
変な話だけれどね。
だってそもそもひつじの中にある
エネルギーのひとつなんだし。
それをひつじが“龍”としてイメージするから
その通りに出てきてくれているだけで。
説明するうえでは
“ついてる”っていう方が
第三者的にイメージしやすいから
安易にそう表現してしまうだけで・・・
って、ま、でも厳密なところは
どうでもいいか(笑)
世界の“核”は、
案外“曖昧さ”の向こうに
在るものだし。
とりあえず親近感を持つために、
黒龍を“くろ”、
白龍を“しろ”と呼ぶことにする。
(ところでどうでもいいけど、
ひつじのネーミングセンスは
基本壊滅的なのである。
パオたんにつけた名前は
壊滅的センスの中では
会心の一撃だったと思う・笑)
とかなんとか思っていた最近。
明け方に夢を見た。
行きつけの美容院で
セットしてもらっている時、
一人の女性がお客さんでやってくる。
行きつけの美容院は
とても接客に優れた
人の好さそうなご夫婦二人が
やっているところなんだけれど、
その好さそうなご夫妻が
夫妻『あ~、厄介なお客様がきちゃったな』
と珍しく言う。
(現実では絶対ないことだし、
もし心でそう思っていても
接客は100%でこなされると思う。
が、これは夢なので。)
珍しい物言いだな~と思い
そちらを見ると、
ああ、確かに。
納得するほど
重い黒のモヤモヤが視える。
ひつじ『あ~、これはヤバいっすね。』
夫妻『え?やっぱり?そう思う??』
ひつじ『なんかこの辺に
ヤバいやつが・・・・』
と、説明している最中にふと、
ひつじ(あ、くろ、なんとかしてよ)
と心の中で言ってみると、
くろがピュン!と飛んできて、
重たいモヤモヤを
むしゃむしゃと食べ始める。
それをみて咄嗟に、
ひつじ(そんなもん食べて大丈夫!?)
と聞いてしまう。
(自分で何とかしてと言ったくせに。
人間とはそういうところがあるものですね。)
くろ【これが専門だから、大事ない。】
あ、しゃべれんですね(笑)
しゃべれんですね、というか、
イメージでそのようなことを
伝えてきた、感じ。
くろがモヤモヤをむしゃむしゃ食べたあと、
モヤモヤを持ってきた女性は
途端に軽やかになり、
ここに来てよかった、と
内なるエネルギーがキラキラになって
(ついでにご夫妻の力で
髪の毛もピカピカになって)
帰られる、のをみながら
よかったなぁ、と思ったところで
目が覚める。
なんだろう、この夢。
普段、日常に即した夢しか
みないタイプなので、
くろが出てきたことに
少し驚く。
驚きながらも、
懐かしい思い出を辿るように
丁寧に丁寧に、
夢を精査していく。
そうか、くろは浄化専門なんだな。
だからモヤモヤを祓えるんだな。
・・・と、そこで思い出す、
しろのこと。
ひつじ(くろが浄化専門だとしたら、
しろはなにするの??)
聞いた瞬間、
しろがピューッと飛んできて、
足元からひつじの左側面をかすめて
上へ、上へ。
青い空にボディの白が
綺麗に映えた頃、
しろはくるりと円を描いて。
その身体から降り注ぐ、
たくさんのキラキラ。
それは、光のようでもあり、
雨のようでもある。
そうか、なるほど。
しろは恵みが専門なわけだ。
くろが下、
しろが上。
しろが天。
くろが地。
くろが浄化した地上に、
しろが恵みを降り注ぐ。
なるほど、これは太古から続く
永遠の営み。
永の祝福。
そうして【いのち】を
慈しみ育んできたんだね。
そこまで視せてもらったところで、
思い出す。
しろもくろも、
ひつじのウチに在るもの。
ひつじのウチに存在して
其処で光を放つもの。
嬉しそうに、楽しそうに。
ああ、そうか。
ひつじは、いいや、
生きとし生けるもの全ては、
天と地の申し子だったのだ!
生きる、ということは
天と地が交わること。
天と地の交わりは、
本来、
喜びであり、楽しみである。
そして、その喜びと楽しみは、
絡まり合って、円を成す。
(円というと
平面的過ぎるのであれば、
珠でもいいし、
最早ことばは
なんでもいいとすら思う)
なんということだろう。
自分は、【自分】であるだけで
完璧だったのだ!
と、同時に、
自分が偏った性(身体的に、精神的に)で
在るということは、
それだけで不完全を体現していて、
だからこそ、他者を求めるのである。
欠けたるを、埋めるために。
絡まりながら、円を成すために。
ははぁ、なるほどなぁ。
理は、常に自分の内に在るのである。
其処に到達するには多分、
とても純度の高い感性が必要なのだけれど
それはとても難しいことであると共に
とても簡単なことでもある。
だって、【本来の自分】に
戻るだけでいいんだから。
【本来の自分】に戻ると、
理は、真理は
とても親和的に自分を
包括してくれる。
この根源的な喜びに触れる気持ちよさ、
くせになる(笑)
そしてここで太極図について
改めてウィキってみたら、
太極図の起源となる図は
【天地自然の図】または【天地自然河図】
って呼ばれてたんだって(笑)
この符丁wwwwwwwwww
ってことで、
ひつじのおはなしは
ここでおしまい。
これを、夢のはなしと取るか、
現のはなしと取るかは
読み手の自由だけれども。
【本来の自分】に戻りたいのなら、
こちらをオススメしますでよ。










