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見逃した人へ    ソクジュvsミノワマン

絶対最後まで見た方がいいですグー




ソクジュvsミノワマン




ラモー・ティエリ・ソクジュ(Rameau Thierry Sokoudjou、男性、1984年4月18日 - )は、カメルーン出身、アメリカ合衆国在住の総合格闘家。チーム・クエスト所属。

アフリカン・アサシンの異名を持つ、ネイティブアフリカンの格闘家である。


2001年にアメリカ合衆国カリフォルニア州に移住し、柔道選手として活動。エキシビションマッチでシドニーオリンピックオリンピック銀メダリスト・篠原信一に勝ったこともある(篠原が連続で複数の選手の相手をする形式で、8番目に当たった)[要出典]。

その後、中村和裕戦を控えたダン・ヘンダーソンのスパーリング・パートナーとして起用されたことから、総合格闘技と関わりを持つ。柔道のオリンピック予選に参加することができなかったことを契機に柔道から総合格闘技へと転身。

2006年7月15日、Total Combat 15にてプロ総合格闘家としてデビューし、判定勝ち。

2006年10月12日、WEC 24でグローバー・テイシェイラと対戦。1ラウンドにKOで敗れる。

2007年2月24日、PRIDE初参戦となったPRIDE.33においてアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラと対戦し、1ラウンド開始23秒で左フックでKO勝ち。

2007年4月8日、PRIDE.34でヒカルド・アローナと対戦し、1ラウンドに右アッパーでKO勝ち。ブラジリアン・トップチームミドル級の2人に対し、連勝を収めた。

2007年12月29日、UFCデビュー戦となるUFC 79でリョート・マチダと対戦し、肩固めで一本負け。続いて参戦した2008年5月24日のUFC 84では中村和裕から右ストレートでダウンを奪い、1ラウンド終了時に続行不能によるTKO勝ち。10月18日のUFC 89ではルイス・カーニにTKO負けを喫した。

2009年1月24日、Affliction: Day of Reckoningでレナート・ババルと対戦し、アナコンダチョークで一本負けを喫した。

2009年5月26日、DREAM初参戦となったDREAM.9のスーパーハルクトーナメント1回戦でヤン"ザ・ジャイアント"ノルキヤと対戦し、パウンドでTKO勝ち。レフェリーが試合をストップした後も、パウンドを止めずリング上に双方のセコンドが入り揉み合いとなったため、ソクジュに対しイエローカードが提示された。

2009年10月6日、DREAM.11のスーパーハルクトーナメント準決勝でボブ・サップと対戦し、パウンドでTKO勝ち。

2009年11月7日、Strikeforce: Fedor vs. RogersでDREAM.11で対戦予定であったゲガール・ムサシと改めて対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。









ミノワマン(男性、1976年1月12日 - )は、日本の総合格闘家。本名は美濃輪 育久(みのわ いくひさ)。岐阜県羽島市出身。富山健康科学専門学校卒業。ニックネームは「ザ・リアル・プロレスラー」、パンクラス時代は「ザ・パンク」。赤いパンツがトレードマーク。

ファンが喜ぶ試合をするのが身上で、格闘技の試合でパイルドライバーやデスバレーボムを繰り出したこともある。

また無差別級での試合を多く行っておりボブ・サップやチェ・ホンマンのような規格外の巨漢やギルバート・アイブル、といった階級上の強豪選手相手に勝利を収めている

冴夢来プロジェクト時代 [編集]
1996年6月、第6回パンクラス入門テストを受けるが、不合格となる。その後、誠ジムに入門、剛竜馬の主宰する冴夢来プロジェクトに上がっていた。

パンクラス時代 [編集]
1997年7月20日、誠ジム所属としてパンクラスでプロデビュー、「ネオブラッドトーナメント」で3位となった。その後パンクラスに移籍し、1999年8月1日には「ネオブラッドトーナメント」で優勝を果たした。

パンクラスのリングではセーム・シュルト、菊田早苗、DEEPのリングでは田村潔司らと対戦した。

2003年4月にパンクラスを退団し、フリーに。8月にはブラジルのブラジリアン・トップチームでトレーニングするなど武者修行を行う。

2003年9月19日、ブラジルのジガンティーニョ・ジムナジウムで開かれた第1回ブラジルスーパーファイトにおいてシウマウ・ホドリゴと対戦。2R3分1秒、バックを取られながらも膝十字固めを極め一本勝ち。現地で「東洋の神秘」と絶賛される。

PRIDE参戦 [編集]
2003年12月31日、PRIDEデビューとなるPRIDE 男祭り 2003のオープニングファイトでクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦し、膝蹴りでTKO負け。

2004年はヴァンダレイ・シウバ戦、ハイアン・グレイシー戦と連敗スタートもその後は山本喧一、上山龍紀に連勝。大晦日のPRIDE 男祭り 2004で再びオープニングファイトに出場。ステファン・レコと対戦し、開始27秒ヒールホールドで一本勝ち。

2005年はギルバート・アイブル、キモらと対戦。両試合ともに得意の足関節技で勝利した。またPRIDEウェルター級グランプリにも出場。1回戦で以前TKO負けを喫したフィル・バローニにリベンジを果たすも、2回戦でブラジル武者修行時の師匠であるムリーロ・ブスタマンチに敗れた。

2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005で、対戦を以前から熱望していた桜庭和志と対戦。チキンウィングアームロックでTKO負けを喫したが美濃輪は最後までタップしなかった。

2006年も継続してPRIDEに参戦。PRIDE 武士道 -其の拾-ではジャイアント・シルバをKOで破った。5月5日の無差別級グランプリ開幕戦にも参戦。体重差約20kgのミルコ・クロコップと対戦するが、1分10秒でTKO負けを喫した。その後はバタービーンやマイク・バートンなどに勝利。

2006年12月31日、PRIDE 男祭り 2006のオープニングファイトで田村と再戦。「超人になりたい」「『マン』を付けると強そうだから」とリングネームをミノワマンに変更。結果は田村にカウンターで横腹に膝蹴りを叩き込まれKO負け。

2007年7月23日、プロデビュー10周年を記念して「CMAフェスティバル2 美濃輪育久デビュー10周年記念大会」が開催され、メインイベントでホ・ミンソクと対戦。アンクルホールドによりミンソクの左足にダメージを負わせ、1R終了時にタオル投入によるTKO勝ち。入場時には、トップロープ越えのパフォーマンスを披露した。

2007年8月11日、HEAT4のメインでチェ・スンヒョンと対戦、アームロックで一本勝ち。

2007年9月17日、HERO'Sに初参戦。ハレック・グレイシーと対戦予定であったが、ハレックの怪我の影響で、ヒクソン・グレイシーの門下生ケビン・ケーシーとの対戦に変更された。試合は、ケーシーが引き込んだグラウンドから再三脱出し、2R序盤でのパンチの打ち合いの中でミノワマンの右フックがケーシーのアゴをヒット、倒れたところにパウンドで追撃してTKO勝ち。

2007年10月28日、HERO'S KOREA 2007でキム・ミンスと対戦。体格差を埋められず、左右のフック連打でTKO負け。試合後に拳を観客に向けて8回突き上げるパフォーマンスをキム・ミンスにやられてしまった。

2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!でズールと対戦。ズールの周りをグルグルと走り回り、時々ローキックを放っていくヒットアンドランアウェイ戦法を取る。100kg以上の体重差があるズールを背負い投げ会場を沸かせる場面もあったが、体格差を埋めることはできず、最後はパウンドを受けたところで、セコンドからのタオル投入によりTKO負け。試合前には「体重差・体格差によって強さは計れないことを証明する」と語っていた。




DREAM参戦 [編集]
2008年3月15日、DREAM.1で韓国の元野球選手イ・グァンボムと対戦、膝十字固めで一本勝ち。トレードマークであった赤パンツではなく黒パンツで試合を行った。

2008年4月29日、DREAM.2のミドル級トーナメント1回戦で金泰泳と対戦し、判定負け。

2008年9月23日、DREAM.6でかつての師匠船木誠勝と対戦し、踵固めで一本負け。

2008年12月31日、Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~で、同年K-1GPベスト4のエロール・ジマーマンとDREAMルールで対戦し、足首固めで一本勝ちを収めた。

2009年2月10日、DEEP&CMAファン感謝祭2009でかつての先輩・鈴木みのるとプロレスルールで試合し(初プロレス試合と発表されたが、冴夢来プロジェクト時代に経験済み)、17分31秒ゴッチ式パイルドライバーからの体固めで敗れる。

2009年4月5日、DREAM.8で柴田勝頼と対戦。2R終了終盤にジャーマン・スープレックスを食らうなどして判定負けを喫した。

2009年5月26日、DREAM.9のスーパーハルクトーナメント1回戦でボブ・サップと対戦し、アキレス腱固めで一本勝ち。

2009年5月29日、キン肉マニア2009にてキン肉マンとプロレスルールで対戦。ブロッケンJr.の得意技である「ベルリンの赤い雨」やジェロニモの得意技である「トマホーク・チョップ」を繰り出し、挙句の果てにはキン肉マン自身の得意技である「キン肉バスター」を掟破りで使用するも、「火事場のクソ力」によってパワーアップしたキン肉マンのキン肉バスターを喰らっての体固めで敗れる。

2009年10月6日、DREAM.11のスーパーハルクトーナメント準決勝でチェ・ホンマンと対戦した。下馬評を覆し、踵固めで2R一本勝ち。大晦日の決勝戦に駒を進めた。