見逃した人へ 高谷 裕之VS小見川
高谷 裕之VS小見川
高谷 裕之(たかや ひろゆき、男性、1977年6月10日 - )は、日本の総合格闘家。千葉県習志野市出身。高谷軍団所属。
幼少期から喧嘩にあけくれていたというエピソードと、リングでのパンチ中心のファイトスタイルから「喧嘩番長」と呼ばれている。「沢山殴りたいです」「相手の顔を沢山殴る試合をします」などとインタビューで発言するほどパンチへのこだわりは強い。
現在はEXILEなどが所属している芸能プロダクションLDHに所属している。
2001年12月7日、SWAアルティメットボクシング大会で村山光広と対戦。3-0の判定勝ち。
2002年4月12日、掣圏道 アルティメットボクシング大会でガチェチラゼ・イオセブと対戦。3-0の判定勝ち。
2002年5月3日、東京武道館第一武道場で行われた第13回全日本新空手道選手権大会の軽中量級に出場。決勝戦で小林悟(現・サトルヴァシコバ)に本戦判定0-2で敗れ、準優勝となった[1]。
2002年9月29日、全日本アマチュア修斗選手権に出場し、決勝戦で藤岡正義に破れ準優勝。
2003年2月6日、修斗 2003年度新人王トーナメント ライト級 1回戦で碓氷早矢手と対戦。TKO勝ち。
2003年7月13日、修斗 2003年度新人王トーナメント ライト級 準決勝で日沖発と対戦。3-0の判定勝ち。
2003年11月3日、修斗 2003年度新人王トーナメント ライト級 決勝で藤岡正義と対戦。3-0の判定勝ち。全日本アマ修斗 決勝戦での雪辱を果たした。
2004年1月24日、修斗でジョン・ホーキと対戦。判定1-0で引き分け。
2004年3月13日、全日本キックボクシング連盟「全日本ライト級最強決定トーナメント 1st.STAGE」でサトルヴァシコバと約2年ぶりの再戦。2Rに左ハイキックでダウンを奪われ、0-3の判定負け。
2004年5月3日、修斗でステファン・パーリングと対戦。ハイキックでKO勝ち。
2004年9月23日、全日本キックボクシング連盟「DANGERZONE」で山本優弥と対戦。0-3の判定負け。
2004年12月14日、修斗でギルバート・メレンデスと対戦。0-3の判定負け。
2005年7月6日、HERO'S ミドル級世界最強王者決定トーナメント1回戦でヤニ・ラックスと対戦。左フックでダウンしたところをパウンドで追撃し、KO勝ち。
2005年9月7日、トーナメント準々決勝でレミギウス・モリカビュチスと対戦。激しい打撃戦となったが、最後はパウンドによりTKO(レフェリーストップ)勝ち。レミギウスのキックにより右肘を負傷したがドクターストップを振り切り、トーナメント準決勝で須藤元気と対戦。ほぼ左手のみで戦ったが、三角絞めで一本負け。
2005年11月5日、HERO'S 2005 in SEOULでキム・ドヒョンと対戦。3-0の判定勝ち。
2006年8月5日、HERO'Sミドル級世界最強王者決定トーナメント準々決勝でJ.Z.カルバンと対戦。右跳び膝蹴りでダウンを喫し、KO負け。
2007年3月12日、HERO'S 2007 開幕戦でアンドレ・ジダと対戦。ジダの打撃で鼻からの出血が激しくなり、ドクターストップでTKO負け。
2007年9月8日、CAGE FORCE初参戦となるCAGE FORCE 04でジャロッド・カードと対戦、左フックでKO勝ち。
2007年11月8日、修斗でアントニオ・カルバーリョと対戦。激しい打撃戦となり2Rにカルバーニョのパンチで左目尻から出血するも、ドクターチェックからの再開後に右フックでダウンを奪う。3R、膝蹴りからのパンチ連打でTKO勝ち。
2008年2月13日、WECに初参戦し、レオナルド・ガルシアと対戦。右フックでKO負け。
2008年12月3日、WEC 37で8月大会から延期になったカブ・スワンソン戦を迎えるも、0-3の判定で敗れWEC2連敗となった。
2009年3月8日、DREAM初参戦となったDREAM.7のフェザー級グランプリ1回戦でキム・ジョンウォンと対戦し、TKO勝ちを収めた。
2009年5月26日、DREAM.9のフェザー級グランプリ2回戦で前田吉朗と対戦し、TKO勝ちを収めた。
2009年10月6日、DREAM.11のフェザー級グランプリ準決勝で所英男と対戦し、パウンドでKO勝ち。続く決勝ではビビアーノ・フェルナンデスに判定負けを喫し、準優勝となった。
2009年11月22日、入籍した。
小見川 道大(おみがわ みちひろ、男性、1975年12月19日 - )は、日本の総合格闘家、元柔道家(元柔道強化指定A選手)。茨城県出身。バックボーンはボクシングと柔道。土浦日本大学高等学校、国際武道大学卒業。吉田道場所属。柔道三段。同じ吉田道場所属の中村和裕は、大学の後輩にあたる。
総合格闘家小見川和隆は実弟。
小学校1年から柔道を始める。土浦日大高校では、同じ柔道部所属の桜井"マッハ"速人、レスリング部の宮田和幸と同級生であった。国際武道大学時代には野村忠宏、中村行成に勝利したこともある[1]。大学卒業後は、綜合警備保障で柔道を続けた。1998年2月 ハンガリー国際66kg級優勝、2002年1月 日本国際66kg級優勝、2003年7月 トレトリ国際66kg級優勝などの実績を残した。柔道時代も寝技を得意としていて、2001年にはアマチュア総合格闘技大会JTCに出場し、ベスト8。
2005年5月1日、吉田道場所属になったことを発表。同時にリングネームを小見川 道大とした[1]。
2005年5月22日、プロデビューとなるPRIDE 武士道 -其の七-でアーロン・ライリーと対戦し、1Rに右ハイキックでKO負け。
2005年12月3日、Cage Rage 14でジェシアス・カバウカンチ(J.Z.カルバン)と対戦し、1Rに右フックでKO負け。
2007年9月22日、UFCデビュー戦となるUFC 76でマット・ワイマンと対戦し、0-3の判定負け。
2008年1月23日、UFC Fight Night 12でチアゴ・タバレスと対戦し、0-3の判定負け。
2009年1月18日、初参戦となる修斗で石渡伸太郎と対戦し、判定ドロー。3月20日、戦極初参戦となった戦極 ~第七陣~のフェザー級グランプリ1回戦でL.C.デイヴィスに判定勝ちを収めた。試合後、リング上で「俺が負けると思ったやつら、クソッタレ!」とかつてのエンセン井上を思わせる叫びをあげた。この「クソッタレ」をプリントしたTシャツが発売されるなど小見川の代名詞ともなった[2][3]。5月2日、戦極 ~第八陣~のフェザー級グランプリ2回戦でナム・ファンにパウンドによるTKO勝ちを収めた。
2009年8月2日、戦極 ~第九陣~のフェザー級グランプリ準決勝でマルロン・サンドロに判定勝ち、決勝では金原正徳に判定負けとなり、準優勝となった。
2009年11月7日、戦極 ~第十一陣~のフェザー級チャンピオンシップ挑戦者決定戦で幻の決勝戦の相手であった日沖発と対戦し、ベストバウト賞を受賞する熱戦を繰り広げ2-1の判定勝ち。納得のいく勝ち方ができず、試合後のリング上で「小見川道大、クソッタレ!」と叫んだ。