戦争を考える  その二 | 林泉居

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          戦争を考える  その二

人類にとって最初の戦争は何時何処で起こったのでしょうか。

 

一般的には、農耕が始まって後のことだという説が有力だったようですが旧石器時代に始まったという説もあるそうです。その根拠は大量の虐殺の痕跡を発見したということにあるようです。武器による損傷のある大量の人骨を発見したからそれは戦争による虐殺を証明するものであるという結論は少し短絡的ではないかと思います。地域や種族によっては、食人の習慣がありましたし首狩り族といって物珍しげにリポートするテレビのドキュメントなども少し昔の話になりますがありました。ここに戦争とそうでないものとの線引きを考えてみる必要があるのではないかと思います。定義付けは、やっかいです。
 

ここでまた易経の教えを見てみようと思います。 戦争についての卦は地水師でした。 この卦の初六の爻(こう、交におなじ)には以下のような言葉がかけられています。


「師の出るに律をもってす、しからざればよきも凶なり」


師は前回に述べたように軍隊のことです。本来がもろもろの人々あるいは多くの人々を指す言葉ですから人の集まる社会ということも出来ます。律は、法律や規律などのことです。軍隊には厳格な規律を必要とするように社会に於いては円滑な自治のために法律などの秩序を定めることが必要不可欠です。師の出るに律をもってすとはそういうことであり、しからざればよきも凶なりとは、一定の規則に従って行わなければ例えそれがよいことであっても成功しないあるいは不和をもたらす結果を招区こともあると言うことです。朝令暮改やご都合主義の例外的措置は全体の調和を乱すきっかけとなることもあるでしょう。多くの人が集まるとそこには一定の規律秩序が必要となります。戦争は、社会性を持った集団間における大規模な戦闘です。クラウゼヴィッツの言うようにそれは政治の副産物、政治の一つの特殊な形態です。戦争とそうでない戦闘との間に線引きを行うとすればそこに政治目的があるかないかが一つの境界線と考えても良いのではないかと思います。


戦争定義の要件は、
1.政治の特殊な一形態であること。すなわち政治的目的を有すること。

 

さて、それでは最古の戦争ですが、やはり政治が行われるようになってからと考えた方が良いのではないかとも思います。そうすると、今度は政治とは何かというやっかいな問題に首を突っ込まなくてはなりませんが、今ここでこの命題に首を突っ込むと少し横道にそれてしまいますので次の機会に回したいと思います。

人間社会で最初に勃発した戦争が何時何処で行われたのか知り得ないのですが、最古の戦争の記録というのは残っています。古代シュメールのラガシュとウンマの戦争です。

 

以下の動画は、シュメールの都市国家についてまたラガシュ・ウマ戦争についての概略が解説された動画です。
日本語字幕付きです。

 

 

 



この最古の記録というのは、シュメールの一都市国家としてチグリス川の支流川下付近に存在したラガシュ(Lagash)の歴代王室が記録したもので凡そ18篇からなります。敵対していた相手は、ラガシュより約30キロ上流側の都市国家ウマ    (Umma)でした。記録した期間は、紀元前2600年から紀元前2350年の約250年にわたる歴代王家の記録です。メソポタミア地域では紀元前五,六千年頃から灌漑農業が営まれていたと言われます。これがひいては水争いを起こし領地紛争に繋がる数々の紛争を引き起こしました。上流の国が自国の農業のために有利な方策をとると下流域の隣接国家は、その繁栄と生存を脅かされることとなり、時には存続を掛けた戦闘を繰り広げることとなります。古代のこととはいえ未だ現代社会にも引き継がれている戦争の基本的問題かも知れません。この後政治と文明の進歩は、戦争をより複雑でより多くの悲劇を生み出す残酷な争いに変えていきます。

 

戦争の目的は支配です。生存と繁栄に必要なものであり、水であり領地であり、人の政治的支配です。

 

都市国家と政治は表裏一体の関係にあり政治外交と地政学はこうした環境からも芽生えてきます。ラガシュとウマの何代にもわたる戦争の記録は人と社会と戦争の原点が包含されているのかも知れません。