へぎ目の魅力【読書】
割ばしから車(カー)まで /秋岡 芳夫 /100P 今、わたし達が使っている割り箸は木を割ってつくった箸ではない。ノコで挽いた板で造った<鋸挽箸>なのである。木をノコで挽いて板にすると往々目切れがする。縦方向に並んでいる木材の繊維をノコで切断してしまうのである。 目が切れると木の力は死んでしまう。その死んだ板から造った鋸挽箸は、だから折れるのである。 <略> 日本人が割り木工に徹して暮らしてきたほんとうの理由は、木にも<いのち>があると深く信じ、木の命の力を殺さないで活用させていただく、といった心構えで木に接してきたからだろうと私は思っている。 室町以前のわが国の建物は、法隆寺も唐招提寺も薬師寺も、みんな割り箸を作るのと全て同じやり方で、木を割ってつくった柱や壁や板で作られていたのである。 <略> 製材用の縦挽用の大鋸が一般に使われだしたのは江戸の初期になってからなのである。 <割箸建築>の住まいは、細い梁、細い柱でも丈夫に作れるから窓や戸口を広々と開けられる。蒸し暑い夏にピッタリの日本の建築は木を生かす心から生まれた。素直に割れた木肌を見ると、心がすくようです。割れ肌を生かして作られる木ものは多々ありますが…工業規格品がスタンダードになった社会の中ではなかなか、外れ物の位置に座してしまうのでしょうね。素直な割れ肌も良いものですが、節のある材枝を生やそうとしたところに来ると、うねって立体的に巻き上がる。そういう素直でない部分は、切り落として廃棄するのが常なのでしょうがわたしはそういう部分に、生命の力強さを感じずにはいられないのです。