凄い事に気付いたよ。

既に知っている人もいるかもだけど、

「相談したいんじゃない。

話を聞いて欲しいだけ」って、

『この人が嫌いなの!』を、

聞いて欲しいだけだったんじゃない?

 

その相手が嫌いな理由として、

誰もが嫌がるであろう箇所を、

問題点のように話しているだけなのかも?

だから相談したい訳じゃないのよ。

悪口を聞いて欲しいだけなんだと思う。

でも悪口を言ってはいけないから、

他者と『嫌』を共有できそうな箇所を、

問題点のように話しているのかも?

 

あっ…もしかしたら、

本人も悪口を言ってるとは気付いていないのかも?

相手の問題点を指摘しているだけ…みたいな感じ?

聞いている方は気付かない事が多いよね…。

身に付いている話し方なのかな?

 

 

随分昔だけど会社の同僚などと、

社内の困った言動をする人の話をしている時に、

「私もそういう所あるな…」って言うと、

「貴方は良いのよ」って、

言ってくれる事があったんだよね。

(許せる範囲って感じかも?)

 

あれって『困った言動が嫌』なんじゃなくて、

『嫌な人の言動が嫌』だったんじゃないかな?

 

嫌いな人の悪口を言って、

気持ちをスッキリさせる場だったのかも?

だから言い過ぎな感じがした時に、

「良い面もあるよね」なんて擁護すると、

サッと潮が引いたみたいな雰囲気になったのかな?

 

もしかすると、

敵味方を見分ける踏み絵だったのかも?

なんて事に数十年後に気付いてみたり。

 

 

自分の好き嫌いの感情で、

仕組みの良い悪いを決める。

それは仕組みの内容の良し悪しで、

決めている訳ではない。
 

やっぱ『お気持ちの訴え』だけで、

ルールを変えるのは良くない気がしたり。

ただ人権問題は、

この『お気持ちの訴え』だけで、

ルールを変えてしまったりするんだよね。

やっぱ良くないんじゃないかな?

 

仕組みとして、

多くの人が受けられている権利を、

一部の人が受けられていない場合とか?

これは受けられるように変えた方が良いよね。

(注:日本国民の権利は日本国民のみ有効。)

受けられる環境なのに、

受けたくないという場合は、

与えられた権利の放棄になるのでは?

 

『権利』って、

『自己主張の道具』ではなく、

同じ恩恵が享受できる状態にあるのか?

そこら辺で考えるものなのでは?

間違っているかもだけど、

そんな事を考えてみたり。