文章の魔術師。。① | ののののブログ

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LAに住む引きこもり。猫より猫らしく暮らしてます。。時々、日本に帰ったら走り回ります。


不思議ではない回想録です。。


LAに来る前、東京で、バリバリ仕事をしていました。まだまだやれることもあったとも思いますが、早めの世代交代と、もうやり切った感はあったので、キャリアについては思い残すことはありません。。


当時の日本での仕事は、まだまだ男尊女卑も多く、雇用者の立場が弱い上、あちこちからの要求が高いのに、正直、給与と見合ってないと思う事が多々ありました。。


「やれる人がやったらいい。あなたは出来るんだから」仕事した損で一円も給与が上がらない、大嫌いな言葉でした。。でも、やってしまう性分な損な役割でした。。


まあ、色々ありましたが、特に後半は、取引先の担当達が20代の若手達に囲まれていたので、学園祭ノリでわいわい楽しく仕事をしてたのが救いです。。


担当者は、全員、私の指名でつけていたので、みんな上司から私の指名だと聞かされてギョッとした事でしょう。。私が20代半ばあたりをごぞって指名していたわけは、ヤンチャな私とバランスが取れる事が多いのと、チャレンジする姿勢が同年代とか上世代になるとやりたがらないし、単純に楽しいという理由からでした。


しかし、私が指名するということは、私が彼らの責任を持つということです。彼らのノルマなどの困りごとは当然秘密厳守し、困りごとは正直にはやめに言ってくれたら私のできる範囲で全力で協力すると言っておりました。。


中には、全く私の仕事と関連がないのに、自分じゃ雲の上の人すぎて言えないから、大企業のすでに役員候補で名があがっていた部長相手に、自分の代わりに言ってほしい事があると頼まれた事もあります。。それはさすがに自分で言ったほうがいいとは言いましたが、どうしても私から言って欲しいと言うのです。。私からその部長様に連絡するほうが、はるかにハードルが高い無茶なお願いでも、可愛い彼女の為ならばと、人肌脱いで、恐れ多い部長様に話に行ったこともあります。。(殺されるわけじゃないから別にいいけど)


彼らが私の担当から外れる時や私が会社を辞めた時は「一緒に仕事できて楽しかった」「一度も嫌だと思ったことがない」などと言われた時は、お世辞だとはわかっていても嬉しかったものです。。


私こそ、楽しく若いエネルギーを貰いながら充実した数年間でしたので、私の勝手で巻き込んでしまった彼らには感謝しかありません。。


そんな思い出深い彼らの中で、今日は当時20代のある担当者の話をしようと思います。。


私はとある会社で、資格と実務経験がないとできない専門職の配属でした。しかし、他社で、新規企画事業の経験がある私に白羽の矢が立ち、突然、新規事業も兼任させられます。。それも具体的に何もないゼロで、予算もないけど、なんかやってほしい。ただそれだけです。。(あなたらバカ?今でも思います)


いろんな会社で、いろんな部署を経験したので、あるあるですが、自分が新規事業をやったこともないくせに、ヒラの部下に全てを押し付ける無能な上司がよくいます。。あと、給料泥棒の妖精のおじいちゃん。。何もしないくせに口ばり達者で「どう俺たちを食わしてくれるんだ!」と会議で言われた事があるので「会社のためにも社員のために何もされない役員さんがお辞めになっていただけたら、こちらも楽になります」言ったことがあります。。あの不思議は、なんですかね?日本の会社の謎です。。


給料も変わらない、お前らができない専門職で、しかも新規事業の難しさ、ゼロから生み出す苦しみを知らないくせに兼任だと?舐めてんのか?ふざけんなと思いました。。


私の場合、無能な上司ができないことをやり遂げ、社内誰1人文句を言わせない、やり遂げた後に、いじめまくる作戦なので、リサーチしまくり、これならイケると思った企画を練りだし、厳選したある会社に取引先としての選定で、アポを取りました。。


その時、取引先の入社したばかりで私の電話をとったのが、のちに担当者となる彼でした。。


そして、彼は私の会社に挨拶に来ました。。


つづく