山手線の中吊り広告で見たのだが、京楽(OKブランド)の新機種ウルトラバトル列伝、またヤクモノが派手になっとるのか。「君はウルトラバーを」のようなコピーが付されていた。この流れ、どうなんだろうねえ。誰が求めているのだろう。遊技者はそんなもの求めているのだろうか。
そもそもデジタルパチンコは単純明快な遊びである。存在するのは当たりかハズレのみ。単純にいえば玉が始動口に入った瞬間に拾った数値が「当たり」だったら「おめでとう」で、それ以外だったら「残念でした」となる。ただ、それだけじゃあまりに味気ないので、当たるかもよという期待感を持たせるために「リーチ」という存在を付与している。
それがデジパチの基本的な設計。でも近頃のパチンコは、当たるかもよではなく、リーチになるかもよという程度で煽りをかまして、さらには本来の道筋であるはずの「リーチ」がかかりそうでかからないとさらに期待できるかもよ(疑似連)という仕組みを組み込んでいる。そんな演出がなぜできたのだろうか。いまのパチンコの諸悪の原因ともいえるのだが。
(疑似)連続演出は、そもそもは液晶上ハズレたと思わせて、でも実は演出上は1つの保留玉の権利が続いていているんだよ、という演出だった。これは存在価値があった。ハズレと思わせておいて、実は保留玉を見たときに、あれっという違和感があって、それが悦びに代わるというプロセスがあったから。まあ疑似連の悪口とナンセンスをいえばキリがなくなるので、これはまた機会をあらためて。
話をもどそう。ヤクモノである。GAROの首ニョキは笑わせてもらったが、あんなのつける必要があるのだろうか、というのが一般的な感覚だと思うのだが、これがメーカーの開発になると大真面目につけたがる、のだ。なぜか。はっきり言えば、企画書に打ち出しやすいからである。
■バカ企画書がパチンコがつまらなくなった諸悪の原因
「他と違うこと」、もっといえば「他よりスゴい」こと。パチンコメーカーには、それを何よりも優先するような価値観がある。これまでも、液晶のサイズが大きくなった。LEDをいくつつけた、役物が大きくなった、そんなアホな競争、アピールばかりだった(笑)。ゲームとしての完成度なんか二の次、三の次。最近でこそ見る機会が減ったが、一時期はどのメーカーもバカみたいに「業界初」を謳っていた。どーでもいいことに被せるものだから、ほんとギャグとしか思えなかった。たとえば、ゆで卵を売ったとして割りやすいようにヒビを入れておいて「業界初」と、そんなレベルである。
また話がそれてしまった。ゲームとしての完成度を企画書に書くのは、これは難しい。常にバランスの問題になるからだ。しかも、それを理解するほうにもクリエイティブ性が求められる。いっぽう、バカヤクモノはどうかといえば、スゴいヤクモノつけましたハハハハハ、と書くだけで通じる。企画書を判断する側にもクリエイティブ性など必要ない。これがパチンコが間違った方向に突っ走る構造的な問題である。ヤクモノについては、以前は一個から二個になりました、三個になりました、というバカな競争をしていたが、個数じゃなくて、その迫力をいま競っているわけだ。
その企画書には、そのヤクモノを採用することによって、どのようにユーザーに響くのか、そういう推測、答えは書いてないだろう。「大仰にやること=すべて正解」こんな公式があるのだから。そのへんについても、稿を改めて書いてみようと思う。
さてヤクモノ。そのうち大当りの瞬間に椅子がクイズタイムショックになったり、頭上のクス玉が割れたり、そんな方向に行きかねない。本来のゲーム性とは無関係のインフレ、さて、どこまで行くのやら。