ブルーバレンタイン (ネタバレ感想) | 耳鳴りが止まらない

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ブルーバレンタインのネタバレ感想
 

トラウマ映画と言われてるそうだ。過去の嫌な出来事を思い出してしまう。しかもリアルに。ってことだなと思う。

ある男と女が出会い、惹かれ合い、結婚に至る過程と、気持ちが冷め離婚を切り出すまでの2つの経過を交互に描く。
男をライアン・ゴズリング、女をミッシェル・ウィリアムズが演じる。ララランドや新作ブレードランナー で売れっ子になったゴズリング、マンチェスター・バイ・ザ・シーでの演技が記憶に新しいミッシェル・ウィリアムズ。
この映画は、2011年だから、そんな作品の数年前にあたる。

現在のシーンと過去のシーンで、映像の質を変えているのが面白い。過去のシーンで画質荒くなるのだけど、懐かしさと温かみがある分、現在のクリアな画面で寒々しさが増す仕組みだ。

なんの説明もなく唐突に、幼い女の子と夫婦の朝が始まる。不意にアップで映し出されるゴズリングの顔のだらしなさが、いきなりこの映画の方向を決定づける。素晴らしいカット。
倦怠期を迎え、男は変わらず子供で、女はそれにうんざりしている雰囲気がすぐに伝わる。
いまの生活に満足して、向上心もなく過ごす男。かつて志した仕事や生活とは明らかに違う今に不満を募らせている女。

お互いの車で流す音楽もまるで趣味が違うし、相手の不注意を責めずにはいられない2人。
男と女が出会って別れる物語は、よくあるけれど、おそらく男の方に落ち度がほとんど認められないところがこの映画の特徴のひとつだと思う。
男は、自分らしく生きているだけなのに、女は男が見込み違いだった現実を突きつけられ、色メガネで見てしまった過去の自分を呪う。

単純な見方をすると、高校を中退して気ままに暮らしていた男と進学を志し医者を目指していた女の未来に対する向上心の違いが、年月の流れで明らかになっていっただけ。とも言えると思う。
男にしてみれば、相手が勝手に錯覚して、勝手に正気に戻って、振り回されただけ…。
あるあるだ。突然、なんで嫌いになるの???みたいな。女の子は、好きになると、たくさん誤解して、すべて良い方向に勘違いする。たまったものじゃない笑

この映画のふたつめの特徴は、女が男を拒否る描写のリアルさだ。
悲しい出来事を払拭しようと、子供を実家に預け、ラブホテルに行くことを男は提案する。シンディはまったく乗り気ではない。
それでもデュークは強引に行くことを決める。
古臭く趣味の悪い部屋、うんざり気味のシンディ。ダメな部屋をなんとか楽しもうとするデューク。
普通にシャワーを浴びるシンディは、デュークのワクワクしようとする気持ちを軽くいなし、ただただサッパリしたくて浴び続ける。
一緒にシャワーを楽しく浴びたかったデュークの機嫌は悪くなっていく。(わかるわかるw)
その後、全然その気のないシンディは、機械的に挿入を試みて、デュークに早く行けという態度を取る。
「身体が欲しいんじゃない!心が欲しいんだ。」と男は言うが、ドキッとした。逆に自分は、欲しいのは、結局、身体だけなんじゃないかと思ってしまうことがある…
ともかく、このあたりで、過去の記憶をえぐられるのじゃなかろうか。

デュークは、よく言えば純情で、悪くいえば、現実を見れない。
求めたら、与えられる時代は、とっくに過ぎ去って、戻る見込みはないというのに、かつての成功体験を繰り返そうとする。
痛々しくて、見ていられない。

恋愛関係は、上向きか、下向きの2つしかなくて、現状維持はないような気がする。現状維持はゆっくりと下降しているだけだ。しかも、一度下向きになると、ほぼ2度と上向くことはない。結婚とは、子供を育て上げるまでは、できる限り一緒に暮らして効率的に子育てするための足枷なんじゃないかと思ったり…

頭のいい女の子ならわかる。収入(職か、別の男)があれば、この足枷は外すことが可能だと。
デュークの純情さの悪い面が出てしまい、最後は暴れてしまう。暴力は決定的だ。どうしたって…
デュークは、哀れだけど、可哀想とは思えない。だって、これって普通によくあることだから。

ラブホテルの照明がブルーなのが、冷えた関係をよりよく表してた。
前半で、デュークのセリフがラストを暗示しているとっころがいい。
「男は女よりロマンチストだ」
「綺麗な女はみんな悪女だ。でも女が悪いんじゃない。まわりがチヤホヤするからそうなってしまうんだ。君も悪女だ。」

ウクレレの旋律が切なげでとてもいい。
エンドロールで繰り返されていたけど、ゴズリングが歌うシーンもとても良かった。

シンディについて。
父と母の不仲。高圧的で暴力的な父親の影響で、男性に屈折した印象をもっていて、それが13歳からいろんな相手をしてきた原因になっているようにも思える。イケメンの元カレに中出しされて、キレてというのは過去にも別の相手で経験していそうだ。
(このシーン、デュークに感情移入していると、不意に出てきて、ちょっと辛いかも。元カレとどんな風にしてたとか想像してしまうことはよくあるけど、まざまざと見せつけられることはないから。)
家庭環境のせいで、惨めな自分を繰り返し演じてしまうシンディ。
だけど、デュークとの別れと、少女時代のトラウマとを結びつけてしまうと、映画がつまらなくなるような気がする。誰もがシンディなんだという方が面白い。
そして、それは仕方のないことなんだ。