こんにちは。



本日は私の父母の幼少期のお話から学びたいと思います。



2人とも田舎出身で兄弟姉妹たくさんなのですが、



昭和の頑固親父世代の「子ども時代」は、



「それが普通」の世の中だったらしい。



しかし、親の「教育」について聞いてみると、



「働いているから放置プレー」だったらしい。



父はその面影があり、周りも引くレベルの自由人間に育ち、



母は反面教師にして、しっかりものになっている。



しかし、私は思った。



「働きながら育てる」という能力がないのに、



なぜたくさん産むんだろう?



母に聞いてみたら、



「貧乏子だくさん時代だったからね〜。あと、田舎だからやることないのよ(笑)」



だそうだ。



田舎の方がやることないから、都会よりもセ◯クスに走りがちという話は聞いたことがある。



だとしても、ゴムしないの?(笑)



計画性なさすぎじゃね?



気持ちいいから生希望とかのエロの気持ちはわからなくもないけど、



リスクは回避でしょ!と思ってしまう。



再び母に聞いてみると、



「そうゆう話、あまりあなたとしたくないわ」



と言われた。



保守的な彼女はセ◯クスとかエロの話題を私としたがらない。



何せ私は「クレヨンしんちゃん」ですら、小さいころ観るのを禁止されていたくらいなのだ(笑)



彼女の中では、エロ=下品という価値観が根強い。



だから私は反発ですくすくと育ってしまったわけですが、



時代の変化で現代の人は「判断力」はアップしている気がします。



育てれないから産まない、経済的余裕がないから作らない。



そうゆう判断はできる人が沢山いる現実的な世の中だから少子化になっている。



昔は余裕がなかろうが、育てれなかろうが、



子どもはいっぱいが幸せというのが「普通」。



そう考えると、昔の人は自然の中でのびのび遊んで育ち、



現代の人はルールや規制ありまくりの中で窮屈に育つ。



育てる計画性がなくても、昔の方が良いのでは?



と思えたりします。



「ないものねだり」はこうした時代の移り変わりにも起きるものなんだなぁ。



現代でも、田舎の方でやることなくて、ゴムつけないで子どもできちゃったから、バンバン産んで、経済的に困ってます。



そんな人はいるのかもしれないけど、



周りから「計画性ないねぇ」と親が言われたとしても、



子どもがのびのび育つ環境であるならば、



それは幸せなことなのかもしれない。



親の幼少期から「幸せ」の定義を改めて考えてみたのでした。



ではまた〜!