こんにちは。



本日は介護ブログです。



母が肺腺がんの摘出手術から退院して以来、

痛みとは時々たたかっていたものの、



以前より、声も出るし、ご飯も食べれるし、散歩にも行けるようになったので、



順調に回復してるかなーと思っていた矢先。



朝早く起きていた私がリビングにいたら、



しくしく泣きながら「痛いよぉ〜」



とヨタヨタ歩きの母がやってきた。



ふらついていたので異変を感じ、すぐに身体を支え、



症状を聞いてみると、



いきなり脇腹の激痛が止まらなくて、



寝たいのに痛くて眠れないらしい。



手術跡の外部の痛みではなく、



内部が痛むらしく、どんな体勢になってもツライらしい。



オペは成功しているし、一時的にきた後遺症状だと思われるのですが、



あまりに子供のように泣くので、



何とかしなきゃと思い、救急連れて行こうとしたら、



「行っても同じような薬出されるだけだから我慢する」



と言うので、



「耐えられなかったら、すぐ連れていくからね。」



と伝えた。



こんなにツラそうなのは、身体悪くなってから初めてのこと。



ただでさえ大量のお薬飲んでてかわいそうなのに。



あまりの激痛さに、



「痛い。もう死にたいよー楽になりたい。うわ〜ん」



と涙が止まらない母。



代われるものなら代わってあげたい。



横になっても立っても歩いても痛がるから、



眠くて限界なのに、体力消費はいかんと思い、



横に寝かせて、痛いところをよしよししながら、



気が紛れるものないかな?と、即席でペットボトルにお湯入れて、



痛いところに当ててみる「ホッカイロ作戦」をやってみた。



20分くらいすると、



「さっきよりマシになったかも...」



とウトウトし始めたので、チャンス!と思い、



身体をゆっくりよしよししながら、お布団かけて眠れるように部屋を出た。



1時間くらい経過後、私の部屋へやってきて、



「ゾワゾワして眠れないし、痛みもあるしツライ」とまたキツそうだったので、



身体をなでなでしながら横に寝かせて付き添いをした。



起きていた父へ状況を説明したものの、



彼は本日、1か月前くらいから予定を入れていた近所のカラオケ大会があるのを知っていた私。



絶対空気読めないことしそう...



予想は当たり、



普通に着替えて出かける準備を始めた彼。



私「あのさ...予定キャンセル出来ないなら出かけても良いんだけど、お母さん、今かなり具合悪いからね。もしものときのために電話は出れるようにしておいて」



父「うん、わかった!電話来たらすぐ帰ってくる」



自分優先の彼に「行かない」という発想と自分が何とかしなきゃという考えはない。



母がどんなにつらくても「父だけには頼りたくない」人なので、



それを理解している父も「どうしようもない」=じゃあ、出かけよう。



になってしまうのだ。



そして、私もその状況を理解しているからこそ、



私が動けば問題なし。となる。



この悪循環、何とかしたいと思いながらも、



悔しいことにこれが1番上手くいく方法なのだ。



なぜなら父は本当に何もできないから(笑)



父が母を放置して出かけたあと、



母はやはり激痛が止まず、



入院した病院の救急につれていきました。



休日のため、臨時対応ではあったものの、



レントゲンのあと、CT。



この痛みの原因は「肋間神経痛」という症状で、



肺がん治療後や日常生活のストレスなどからくるものらしく、



母の場合、CTで異常は見られなかったため、



肺を切除したあとそこにスペースが空いたために、



腹部臓器が上がって神経を圧迫しているのではないかということだった。



肺のがん患者が通る後遺症らしい。



確かにそれが原因だとすると神経痛はかなり痛そうだ。



いろいろ調べてみても、電気が走るような激痛やズキズキ、ビリビリ継続するものなどとにかく肋間を刺激して苦しむようだ。



朝から確かに背中、胸、脇腹と痛がっていたので、



睡眠不足もあり、自律神経が乱れ、交感神経が過剰に働いている状況なのだろう。



痛みの辛さでメンタル的にやられたりもするらしく、



抗うつ剤や精神安定剤での治療方法もあるらしい。



母も結構痛みで参っているので、軽く鬱っぽい感じがする。



本人じゃないから100%理解はできないかもしれないけれど、



歯痛とかで神経の死ぬほど痛い気持ちならわかるし、私は鬱経験者なのでゾワゾワして何日も眠れず頭がおかしくなる気持ちも、何も食べれない気持ちも理解ができる。



そういったものが一気に襲ってきながら、

治療で薬も10錠以上飲んでたら、



精神的にも肉体的にもかなりツライと思う。



私もこのまま死ぬんじゃないか?



本当に時間が解決するんだろうか?



と思ったし、彼女も今ピークを迎えてツラくてたまらないだろうから、



「時間が解決してくれるからね。大丈夫だよ」



と臨時の点滴打ちながら横になっている母に語りかけた。



父と弟に連絡し、



弟は心配してすぐに病院に来てくれました。



父は私たちが対応していることで安堵したのか、



まさかの.....カラオケ続行。



呆れて言葉すら出ない。



ここまでKYだと、もはや笑う案件(笑)



私と弟に「迷惑かけて申し訳ない」とシクシク泣きまくる母。



私たちは「そんなこと考えなくていいから」と母をなぐさめ続けた。



点滴後、弟の運転で家に帰り、



私は朝早くから7時間くらい付き添いっぱなしだったので、



「ねーちゃん、疲れたでしょ。仮眠取ったら?僕いるから」



と言ってくれたのでお言葉に甘えさせていただき2時間ほど眠った。



夕方になり、点滴効果が切れたので、処方してもらった薬と睡眠剤投入。



激痛すぎてまた起きたり寝たり歩いたりを繰り返していたところに父帰宅。



開口1番、



「ごめんなさい」



そう思うなら、誠意見せてくれよ。



弟が「お父さんいなくても大丈夫」とLINE送ったのを鵜呑みにして、



そのまま時間いっぱいカラオケエンジョイしたこの男に私は何とも言えない不快感を抱いた。



母がようやく眠り、



父、弟、私で食事を取りました。



父「いや〜今日最後までいないといけなくてさ。ごめんね」


弟「まぁ、僕も来なくて良いって言ったしね」


私「だとしても、普通は行動に出るのが思いやりだし、自分の妻ならなおさら。私には遊ぶ神経が理解できない。」


父への不快感が今にも爆発しそうな気持ち。


父「何もできなくてごめん」


私「する気もないじゃん」


弟「まぁまぁ」


私「お母さんが危篤の場合はどこに遊びに行くわけ?放置するの?そんなんでいいの?」


父「.....ごめんなさい」



あまりもの愛情のなさに思わず感情的になってしまった。



父「お父さん、何すれば良い?」



私「.....しっかりして。あと、妻が危ないときに遊び選ばないで。」



父「....はい。」



ほんと、どうしようもないな、この人。



人間的にヤバい。



その日も夜ずっと泣きながら吐いたり痛みに耐えながら苦しみもがいていた母に私は6時間ほど付き添った。



父はぐっすり寝ていて、トイレで起きてきたときに、



「朝病院行くなら運転するから」



さすがに罪悪感を感じたのだろう。



でも彼ができることはこれくらいしかない。



「私はお母さんが落ちつくまで付き添うわ」



怒りと不快感と戦いながらも精一杯の言葉を絞り出した。



40年も付き添っていて夫婦仲が冷めていたとしても、



自分にできることを必死で探して何とかしたいと思う心が彼にないことが悲しい。



深夜2時くらいに私も体力の限界が来て、



私「少し寝かせてもらうけどつらかったらすぐ起こしてね。そばにいるしかできないけど明日また病院電話して担当の先生に直接聞いてみるから」



母「ずっと付き添ってくれてありがとう。」



それから3〜4回ほど母が部屋に来たので、



その都度、起きてよしよししながら付き添った。



私は先日アポを取り付けたマッチングアプリの「ク◯ニ男」のことがなぜか頭によぎり、



「今、そんなことしてる場合じゃないわ」



と思い、



彼に断りのLINEを送った。



気持ち的にエロ楽しんでる場合ではないし、



これで流れてしまったならまた探せば良い。



断ったらなんだか少し気持ちが晴れた。



自分自身のプライベート時間ではあるものの、



さすがにこんな状況の母を置いて出かけるほど、私は鬼ではない。



父への不快感をク◯ニ男に当てたようで彼に対しては罪悪感があったが、



「間違えてない」と自分に言い聞かせた。



早く痛みから解放してあげれるように、私に出来ることをやろうと思います。