埼玉県小川町の槻川沿いで見かけた素敵な看板。「どくヘビ」の字とヘビの絵がいかしている。


埼玉県東松山市の森林公園駅からレンタルサイクルを借りて、9月末に嵐山町や小川町のあたりを散策してきたときのこと。気合で小さな峠を越えていると。


峠の頂上で、立派な石碑を見つけた。
場所はここ(google mapより)。


これが「遠山トンネルの碑」であることが判明。この場所を「遠山峠」と呼ぶ。遠山峠は埼玉県嵐山町にある大平山の北麓で、埼玉県内でもごく初期の明治15年に開通した隧道(トンネル)が存在していた。なんでも国道や県道ではなく、里道だっ たため国や自治体からの援助が得られず、全額寄付で作った自腹トンネル。埼玉県で作られたかなり古い部類のトンネルだ。50カ村500人以上から寄付を受け、およそ570円で建設された。現在の価値で換算すると、当時の1円=現在の5万円と換算して2850万円。事業としては、なるほどといった金額だ。しかし昭和29年にトンネルが崩落してしまい、現在残っている道は迂回路な模様。これだけの資金が集まったのは、秩父・寄居・小川町 方面と、川越・東京方面を結ぶ現在の国道254号の役割を建設時にこの里道がはたしていたからではないかと推測(妄想)。

大正2年11月25日の地図にも、このトンネルがあることを確認。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/001910892.html
ただし、現在の国道254号の原型になる道がすでにできている。明治15年の地図があれば正確な事実関係が分かるのだが。

国土地理院の古地図を調べていたら、1947 年に米軍が撮影した航空写真にもこの道とトンネルらしいのが写っていた!!http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do…  。google の空中写真で見ると、なんか痕跡が残っていそう。もう一回行くか!?とか調べていたのだが、検索していたら出てきた当時の写真で、狭い切り通しに近いトンネルだったことが分かった。峠の広い地形を考えると、トンネル崩落の際にあきらめて、かなり広く開削してしまい、現在は痕跡も残っていないのではないかと推測される。ただし、トンネルに至る旧道はもしかしたら残っているかもしれない。

さて、ぬるく小川町方面へと自転車をこぐ。



遠山峠を西側(小川町方面)に降りた所。山にかこまれた隠れ里みたいな光景が広がっていた。空気もきれい。



このあたりで取れる秩父青石(緑泥片岩)で作られた板碑と彼岸花。板碑は鎌倉時代から室町時代のものも多く、実は大学時代に論文を何冊も見て研究していたこともある。興味がある方は「板碑」で検索。ただし産地なだけあって、中世から現代にいたるまで、建材や看板、家の壁など、ありとあらゆるものが秩父青石でできていた。



少し離れたところの渓谷と彼岸花。水もとてもきれい。川は槻川で、このあたりは「嵐山渓谷」という美しい風景で有名だとか。そのわりには人が少なくて、良い景色を独占することができた。






道は時々川沿いを進む。





空が広い



橋で槻川を渡り、横道に入ると。


お肉用の和牛がのんびり草を食べていた。多分続く。