JR青梅線沿いにある造成中の立川基地跡で不発弾が発見され、5月29日に自衛隊による爆破処理が行われた。立川基地に関しては、昭和20年2月17日、4月4日、4月24日などに大規模な爆撃対象になり、特に4月の空襲は「立川大空襲」とも呼ばれている。小規模な空襲はこれ以外にもあったようだが、今回の不発弾処理は、アメリカ軍によって投下されたものではなく、日本軍の爆弾のものだった。不発弾の大きさは長さ40センチ、直径12センチと小さいもの。陸軍航空工廠で製造していた、日本陸軍の対地上攻撃機キ-51(九九式襲撃機)の兵装である12kg爆弾ではないかと個人的には思っている(キ-51は、12kg爆弾を12個、または50kg爆弾を4個搭載可能)。

爆弾は基地跡の解体と木々の伐採、整地作業などで出てきたわけだが、元々はどのような場所だったのか。ここで紹介したいと思う。

以下、新聞記事

立川基地跡昭島地区(昭島市福島町)で5月29日、不発弾の処理が行われる。

 同地区の開発現場で4月8日に発見された不発弾は、旧日本軍砲弾1個で長さ40センチ、直径12センチ。陸上自衛隊不発弾処理隊により確認され、直接衝撃が伝わらないように土のうなどで覆った結果、爆発の危険性はなくなっている。

 不発弾の爆破処理は13時15分を予定。7時に発見場所から半径130メートル以内を警戒区域に設定し、起爆準備を始める。公道規制区間は、昭和記念公園西交差点から昭和記念公園西立川口の交差点までの間で7時~18時。隣接する国営昭和記念公園の昭島口ゲートは終日閉鎖となり、昭島口付近一帯と昭島口~西立川駐車場付近のサイクリングコースとやまぶき橋~西立川駐車場付近の管理用道路は終日立ち入り禁止となる。

 不発弾の爆破が確認された段階で警戒区域を解除し、それに伴い公道規制も解除される予定。

ニュース記事(立川経済新聞より抜粋)



不発弾処理のニュース動画
※但し、処理のニュース動画を見ると、青梅線に隣接する地区ではなく、陸軍航空工廠地区内ではないかとも思うのだが……。



青梅線と不発弾が見つかった「南地区」(私が名づけただけ)を区切るコンクリート製のフェンス。これは当時のものと推測される。高さは2メートル以上。



地区の西側(青梅線東中神駅近く)には、陸軍航空廠立川支廠のものと思われるコンクリート製の門が現存している。


フェンスに無理やりカメラを突っ込んで撮影。こういった門柱が2つ現存している。奥はすさまじい草で覆われ何もわからない状態。この奥の青梅線側は、二次大戦時には機体などのスクラップ置き場になっていたという。



ともかく、草だらけ。立ち入り禁止だが、仮に立ち入ったところでこれでは何もわからないだろう。



南地区の北側へ行くと、少しは遺構らしいものが残されている。


たとえば電信柱。



米軍時代の大きな2本の電信柱。



施設番号(?)は "PB DP-22"



ブロックの台座におかれた鉄製の何か。元々は、小型の燃料用タンクが置かれていたようだ。アメリカ軍の古い地図では、ガソリンスタンドがあったため、その関連施設と思われる。



地図の爆弾が実際に見つかったあたり。この付近は定期的に草刈りが行われていた。
夏にここを通りがかった時には、鉄製のフェンスで覆われてしまい、ほぼ全て伐採されてしまったものと思われる。現在は全く違った姿になってしまっているだろう。
この南地区も国有地だが、開発計画では民間企業に払い下げられる予定のようだ。