奥多摩工業では今も現役で走っているのは、前回紹介したエンドレス式のケーブルカーでトロッコがぐるぐる回っている「曳索鉄道(えいさくてつどう)」または「曳鉄(えいてつ)」という奴だ。これが通常の鉄道と同じように、機関車にトロッコが何両も引かれて走っていた頃は「奥多摩工業中間軌道」と呼ばれていた。この軌道の他にも「本線」や、近くに戸望岩(とぼういわ)という巨大な石灰岩がある「戸望線」、「新油面線」など様々な支線が存在していた。軌道は採掘工事の進捗にしたがって敷設と撤去が繰り返され、外側を走るだけでなく、坑道内部からの採掘運搬などにも使われていた。軌道で使われていたのは、通常の電車と同じように架線からパンタグラフで電気を集めて走っていた電気機関車と、グランピー鉱車というトロッコだった。

手持ちの資料では、『森林鉄道からトロッコまで』(青木栄一、三宅俊彦、2005年、大正出版)に、この奥多摩工業軌道についての限定的な記載もあるが、『トワイライトゾーン MANUAL』(ネコ・パブリッシング)のシリーズにも詳しいという話だ。だが、後者はまだ持っていないので、買わなければとは思っている。

「そうだ樹海、行こう」   |←樹海|  ┗(^o^ )┓三
さてさて、とある場所から下を覗いてみたら、トロッコなどが多数ガケの下に転がっていたので斜面を降りてみた。

「そうだ樹海、行こう」   |←樹海|  ┗(^o^ )┓三
ガケの下に転がっていたのは石灰石を運んでいたグランピー鉱車(トロッコ)。土砂崩れや事故などで上部から転落したまま放置されたのだろうか?

「そうだ樹海、行こう」   |←樹海|  ┗(^o^ )┓三
トロッコの他には鉄骨のような部品。しかしよく見てみると

「そうだ樹海、行こう」   |←樹海|  ┗(^o^ )┓三
ベルトコンベアだったことが判明。適度なサイズに砕いた石灰石を運び、トロッコに積み込んでいたのだろう。

「そうだ樹海、行こう」   |←樹海|  ┗(^o^ )┓三
ちなみにこの場所、実はものすごい急斜面。この写真も実はほぼ真下をむいて撮影。足をすべらしたら、谷底の川まで一直線だろう。全く気が抜けない現場だ。