「そうだ樹海、行こう」   |←樹海|  ┗(^o^ )┓三
足尾北エリアの神子内砂防堰堤方面から、南側の足尾本山精錬所方面を撮影。右側の上部に見えるのが硫酸工場エリア。中央にあるのは本山精錬所の大煙突。神子内砂防堰堤は、荒廃した山からの土砂を防ぐ巨大ダム。これより北には、亜硫酸ガスにより壊滅した廃村が点在する。

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足尾本山駅跡。国鉄時代は貨物列車が、粗銅の運びこみや、硫酸の運び出しを行なっていた。左側に見えるのが硫酸タンク。

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足尾本山精錬所遺構。右側の台地に、硫酸工場の遺構が存在していた。

2007年の秋、足尾銅山の硫酸工場が解体された。足尾銅山は世界遺産登録を進めており、古河鉱業株式会社、文化庁、日光市などの後押しで保存を進めている矢先での出来事だった。全く不可解といわざるを得ない。
足尾銅山の世界遺産は、光と影の両面による評価により進められている。光の歴史とは、江戸時代の銅生産や銅銭の鋳造、明治以降は輸出や工業化などで日本の近代化に大きな影響を与えてきた。一方の影の歴史は、田中正造が告発することで有名になった足尾銅山鉱毒事件。つまり大気汚染による木の枯死による山の荒廃と、たびかさなる渡良瀬川の洪水。そして、重金属を含んだ水による水質汚濁や土壌汚染。
どちらのことも紛れもない現実として厳然と存在し、足尾を評価する上では決して外せない出来事だ。

足尾の硫酸工場は、相反する二つの課題を解決する画期的なものだった。技術的には銅の精錬過程により発生した亜硫酸ガス(SO2)を、工業的に有用な硫酸(H2SO4)に作り変えるものだ。他にも、砒素、亜ヒ酸といった、毒性がありながらも有用な物質もばい煙から取り出されていた。今まで大気汚染を引き起こしていたガスの垂れ流しがなくなり、足尾の山々に緑が戻るきっかけになったのが、まさにこの硫酸工場だった。いわば、負の歴史を断ち切るきっかけになる転換点の一つが、この工場だったのです。

その貴重な工場が今はもう何もなく更地になってしまった。噂では世界遺産登録後の観光客を見込んで、駐車場や売店スペースになるのではないかといわれているが定かではない。本当になんのための世界遺産登録だったのだろうか?。足尾の歴史を語る上では、絶対にはずせない工場群であるのに・・・・・・。本当に一体・・・・・・。

個人的には、足尾銅山で唯一たどり着けず、あこがれ続け、一度も行く前になくなってまったのがあの硫酸工場だった。限られた時間の中で、その時しか存在しない風景を見るには、行動するしかないのかもしれない。もう後悔はしたくない・・・・・・。

足尾に関しての書籍は、筆者が足尾を担当した『廃墟という名の産業遺産』と、週末探検隊隊長のBaro2000氏が書いた『廃墟・遺構探索02 足尾銅山遺構群』の二冊がある。どちらも力作なので、興味があったらチェックしていただけたら幸いだ。

『廃墟という名の産業遺産』(Amazon)

『廃墟遺構探索02 足尾銅山廃墟遺構群』 週末探検隊通販ページ

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