亡父は母子家庭の貧困家庭で育ち

中卒で働かなければならないところ

担任教師が

「成績優秀だから高校に行かせてあげて」

と母親に頼み込んでくれて

実兄も働いていたことや

自身も新聞配達などして

なんとか授業料を捻出してもらい

市立の商業高等学校へ進学。

一般大学進学は叶わないので

防大を受験するも合格せず

大学進学は諦め

海上自衛隊へ入り

その後民間企業へ就職し

若くして母と出逢いました。

 

当然生活は楽ではなく

それでも両親は娘が友人に

恥ずかしい思いをすることのないよう

育ててくれましたが

私は漠然と

「家は貧乏なんだ」と思って

育ちました。

 

母が気丈な人なので

徹夜で内職をして家計を助け

亡父のハングリー精神と併せ

起業したのは私が高校1年生の頃で

製造業なので納期はつきもので

娘2人

試験前、試験中であろうが構わず

夜間まで手伝いをさせられました。

 

「コレが納期に間に合わなかったら

御飯が食えない。」

納期は絶対ビックリマーク

骨の髄まで染み込まされました。

 

尊敬する人ははてなマーク

と聞かれると

迷わず

父です

と答えていました。

 

しかし

今にして思えば

母がすごい根性の人だから

叶った起業だったわけで

尊敬する人は両親です

と答えるべきでしたねあせる

 

親の背中を見て子は育つ

正にそんな家庭でした。