潰瘍性大腸炎と海外駐在 | たまに書きます

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基本的に無益な情報を。12年に渡る中国の黒龍江省暮らし(うち3年ちょい北京)に終止符をうち帰国、次の一歩(台湾方面)に踏み込もうとするタイミングでコロナ蔓延、鎖国により足止め。困り中。どうにもならん。

ちょっとまとまりのない話になりそうですが、

なにかの参考になればという話です。

 

自分は2010年の暮れに病気が発覚しました。

当時は中国黒龍江省の地方都市に暮らしていました。

実家が埼玉なのですが、大宮から新幹線で新潟へ。新潟から飛行機でハルビンへ。

そこから更に飛行機で約1時間,バスなら6時間半、

往きは一日で到着するものの、帰りは飛行機の都合上ハルビンで一泊必要。

ハルビンへの飛行機も週3回程度、というような所です。

 

なんだかんだありまして(そのあたりはいずれ別記事で)

2010年の12月24日に一時的に帰国,実家近くの病院で入院となりました。

(何か病院内でクリスマスのイベントやってたっぽいw)
幸い症状はさほど重くなく,半月程度で退院でき、

更に、治療も毎日の定期的な飲み薬の投薬程度でしたし、

問題ないときは全く通常通りの食生活でOKですし

(毎日外食とか毎食肉とかは流石に控えていましたが)

一年に何回か季節の変わり目頃に調子を多少崩しても

座薬を数日突っ込んでおけば大体どうにかなる、という程度で

生活に支障がでてこまっちゃう、というほどではありませんでした。

この状態は幸いなことにさほど変化ありません。

 

と、いうことで、その年の春節明けまで実家で療養し,その後2月の終わりか3月のあたま頃に

現地に戻ったわけです。

 

さて本題です。
これまでの中国生活に当たって一つ大きな問題がありました。

 

住民票を海外転居扱いにしており,地方税が発生しないため難病申請ができない。

 

という点でした。

ちなみに保険証事態はいわゆる会社の保険証を持っていたので

帰国した際に保険適用での診療は可能でしたので、

春秋の2回帰国時に春は内視鏡検査、秋は診察(という名の担当医との雑談)という状況でした。

また,薬については最大限出してもらっても半年分は出ないので

親に頼んで年間何回か取りに行ってもらっていました。

 

ここに関しては,どういう状況で海外に住むか,ということになると思います。

例えば企業さんの駐在員として住む場合、場合によっては給料は日本と現地でそれぞれ出る場合もあるでしょうし

現地のみで出る場合、あるいは日本だけで出る場合、色々あると思います。

地方税は結局の所収入に応じてかかるものなので

場合によっては実家の住所に住民票を置いとく、という手もありなのかも知れません。

また、症状によって違うかも知れません。年数回通院、処置が必要だったり

薬の種類が多い、高額な薬を飲んでる、という場合は住民税を払ってでも難病申請したほうが有利、っていうこともあるかも知れません。

ケースによって色々な場合があると思いますのでよく検討してみてください。

 

自分の場合は,余り考えなかったので・・・・。もしかしたら住民票をおいておいたほうが良かったのかも知れません。

(ただ,海外在住が何日以上の場合はそれは駄目、とかあるかも知れませんのでそちらの方も確認が必要です。駄目って言われるかな。)

 

とまあ、そういうことで

今回本帰国後に住民票を入れて,やっと申請資格ができたわけです。

ただし、これまた色々面倒な手続きがあるにはありました。

特に現地でもらっていた給与の証明が必要になりましたので,前職の会社に作ってもらったりしてました。

 

そこで一つ大きな失敗が。

なにかの勘違いだと思うのですが、この申請、申請からさかのぼって一年位は領収証控えがあれば請求できますよ

と聴いていたのですが、これは間違いでした。

申請通ってからのものだけです。

本来自分は2月の末に帰国し、3月中に内視鏡の検査を行い、

4月に診察と薬、なんだかんだで5月ころ申請し、7月に申請がおりたのですが

帰国したらすぐにでも申請をかけておくべきでした。

そうすればもしかしたら3月の内視鏡、4月の診察と薬のぶんも間に合ったかも知れません。

が、うだうだしていた為、7月の診察と薬代しか戻ってきませんでした。

 

ということで

 

本日僕が言いたいことは一つ。

 

海外から帰国した難病申請対象者の皆様。

とりあえず直ぐに申請に行ってください。

できるだけ速くにです。