2020年2月の記憶です。
実質最後のひと月になる予定で、本来であれば職場でやっておきたいことがあったのですが
全く何もできませんでした。
代わりに、ゆっくりじっくり帰国の準備ができたといえばできたのですが。
春節開けから何回か始業が延長し、結局出発の日までに間に合うことはなく
アレだけ長い間世話になっていた現場の人間の顔をみて挨拶することもなく
物凄く中途半端な終わり方をしてしまったことは心残りです。
まあ、いずれ挨拶しに行くのもいいと思うけど。
で、荷物なのですが、本来このあと台灣に行こうと思っていたので
日本を経由させて更に台灣に送ると送料二度手間になるため、
台灣の住所が確定次第送ってもらう手はずにしているのですが、
6月23日現在、まだ本人が日本にいるので。。。。。
春節後、帰国まで帰国準備以外は何をしていたかと言うと、
職場に行ってPCの整理やデータの整理をして資料を現場に残す、という作業。
散歩。
あとは自宅待機、という具合です。
状況としては、本来
『1家庭3日に一度1名のみ食料品の買い出しに限り外出を認める』
という条件がついて、基本的にその範疇での外出とされていたようなのですが
たまたま自宅の立地的に監視をする人たちが居ないような場所だったので
自由に動いてました。
職場にもローカルの管理職が何人か出ていたようですが、
彼らはきちんと許可をとっていた模様。
基本的に市中のバスが停止、タクシー及び社用車については許可取った上で可能。
飛行機、鉄道で市内に入る人たちは一定期間隔離(7日だったか14日だったか)。
高速道路の出入り口も基本的に封鎖。
町外れにある空港にだけは登記して通行可能。
まだ健康码みたいなものが運用されていない時期でした(南方の大都市で始まった頃)
自家用車も使用禁止。(チャリ最強!とか言いながら乗ってました・笑)
春節開けの際に社内通達として(市政府から降りてきた通達)、
勤務にあたり、マスク必須、ということで数週間多少マスクが入りにくかったようですが
ネット予約により割と手に入るようになった模様
(このとき手元に割と豊富にマスクがあったため、あまりそのあたりの様子は詳しくわからず)
結果として出勤はしばらくなくなったので、日本のようなマスクパニックにはならなかったのも
良かったのかもしれません。
考えてみると、何が一番良かったって、
春節の延長でお休みが続く、みたいな感じになってたことだと思います。
移動すべき人たちが移動し終わり、Uターンも始まらない頃になったので
中国全土で人間が引っ掻き回されるという状況にはならなかったのが良かったんでしょうね。
とはいえ、基本的には外出制限がかかっていたため、街から人は消えていました。
お店も春節休みが終わらない感じで薬屋、スーパー以外は完全に閉店。
飲食も一切なし(出前は一部やっていたところもある模様。ケンタッキーとか。)
スーパーも入場制限あり、検温あり。店員さんたちは雨合羽やらフェイスガードやらで各自防衛。
運送会社は軒並み停止。→2月の中旬すぎから郵便局と顺丰快递は再開の模様。
EMSも航空便のみ受付、船便の再開目処立たず(2月23日ころもそんな感じでした)
まあ、一言でいうと基本的に街が止まっていた、ってことですね。
日本でやらなかったロックダウンっていうやつでしょう。
武漢みたいな完全閉鎖にはなっていませんでしたが。
あとは各居住区の道を大幅に封鎖し入り口を減らし、そこに受付をつけて出入りを管理してる感じでした。
(ちなみに上記にあるように自分が自由に街に出歩けたのは、入り口が大通りに面している建物のため
とくに出入り口を設けて管理をしていなかったからです。これは本当に運が良かったと。)
とにかくあのクソ寒いなか(マイナス20度とかそんなもん)外で管理している人たち、ほんとうに頭が下がります。
もうすぐこの街を離れるので色々散歩もしましたが、どこに行っても人が少ないのでちょっとさみしかったです。
↑こんな感じで臨時で壁を作って道を塞ぎ、出入りを管理していました。
↑繁華街もこの通りガラガラ。