1月の出だしはいつもと同じ。
ただ、2月の末には日本に戻ることを決めていたので
残り少ない時間をどう過ごすか考え、結局考えてるだけで終わってしまった感あり。
ただ、本来出るときまでに作成しようと思っていたギターの
設計図をCADを使った図面を引こう、と思ってそんなことは多少できました。
まあその時点で時間切れになっていたわけですが・・・・。
春節は1月の23日から。
その前に武漢の方でおかしな肺炎が出てる、位なことは聞いていたけど
あんなに急に世の中騒がしくなるとは思わなかった感じ。
マスクは以前家からもらったものか、出張者が持ってきておいていったものが随分あったので
全く困ったことにはならず。
春節は台湾。1月23日出発。チケットを買ったのが10日前。
その頃は全く肺炎のことなど話題にすらなっていなかったような気がする。たしか。
それが数日の後に結構タチが悪いらしい、って話になり
流行しているからマスクはしていたほうが良いらしい、って話になり
台湾入国時に熱があると入れないらしい、って話になったんだっけか・・・・。あまり覚えていませんが
通常マスクなんぞしない自分がマスクをした姿を23日の出勤時写真に撮っているので
休み前の一週間くらいで世の中の状況が随分変わったのでしょう。
北京への飛行機の乗客ほとんどがマスクしていたので軽く感動すら覚えたのですが。
結局たしかこの日に武漢が閉鎖され、どんどんと深刻な状況になる感じに世の中動いていきました。
この頃はまだ黒龍江省の田舎町では患者は認知されていませんでしたが、実際には1月の半ばくらいには
最初の感染者はあの街にも居たそうです。
最初は武漢からの里帰り客や、里帰りのために鉄道でもらっちゃった人たちと言った方によって持ち込まれたとか。
交通機関でもらっちゃうのって不運ですよね。。。
23日は夕方出発→ハルビン経由→夜北京着、という感じで
経由地のハルビンで一度飛行機降りて無駄に30分位過ごすのですが、
春節前ということもあり、微妙に混んでるし感染ったりしたら嫌だなあ、と思った記憶はあります。
北京到着後、翌朝早かったので、本当はまたT3のロビーで夜を明かそうかとも考えていたのですが、
流石に旅行前に経由地の空港ロビーで感染っていうのも嫌でしたし、友人とも会おうということになり友人宅へ。
今後台湾で過ごす予定のため、多少荷物を小型のスーツケースに入れて居たのですが
スーツケースは空港にお預けできたので移動は非常に快適でした。
(首都T2出発フロアで一晩40元程度だったと思います。)
ちなみに自分が住んでいた黒龍江省の田舎街から北京までは
時期にもよるのですが、基本一日一往復の北京への航空路線がありました。
ただ、これが北京に新空港(北京大興国際空港)ができてしまったため、
北京の到着が大興空港に変更になってしまったんですね。
しかも北京での活動ベースはどちらかというと大興空港からは遠く、元々の空港(首都空港)から近いため
更に、台湾行(あるいは日本行)の飛行機は首都空港からの発着になるので
特に時間がないときや荷物のあるときは極力使用したくないのです。
そうなると、選択肢としては街から
ハルビンまでプロペラで飛び、そこから北京へ飛ぶ
近隣中都市までバスに乗り、そこから北京へ飛ぶ
運が良ければハルビン経由北京行きの南方航空が飛ぶ時期にあたるかも
という感じになるのですが、今回はハルビン経由の時期に重なったのでこれを使いました。
そして後日、北京経由で日本へ帰国する際にスーツケース2つ転がして大興空港から北京市内に出る羽目になるわけですが、その頃はコロナ真っ盛りで人が居ないゴーストタウン状態だったので、大変に疲れました、っていう程度で済みました。
そのまま無事に友人宅へ到着(この頃はまだマンションやなどへの出入り許可証とか、検温(公共交通機関なども)とか、そういうことは一切やってませんでした。まあそもそも春節直前なんてそうそう人も出ていないですし。)
なんかとりあえず酒のんでダラダラして、居眠りしているうちに出発の時間が近づいたので、お風呂を借りて準備してタクシーに乗ってまた出かける、とそういう感じだったような気がします。
そして、思えば、
この日が12年に渡ってお世話になった職場の人間の大部分の人と顔を合わせて会話を交わせた最後の日になる、
なんてことは、もう当然知らなかったわけです。
1月12日ころ。黒龍江省某所。春節の準備の年末モード。にぎやかです。
この頃は全く皆様普通に過ごしてますね。