2020年の2月 その2 | たまに書きます

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基本的に無益な情報を。12年に渡る中国の黒龍江省暮らし(うち3年ちょい北京)に終止符をうち帰国、次の一歩(台湾方面)に踏み込もうとするタイミングでコロナ蔓延、鎖国により足止め。困り中。どうにもならん。

引き続き2020年2月の記憶です。

 

2月25日についに街を離れました。

とりあえず諸々手続きがあるため北京へ。

税務署行ったり,銀行行ったり,友人と会ったり。その他所用を片付けたり。

28日の便で帰国するまで2日半、滞在しました。

 

これも本来は,もう少し長い間北京に滞在し,

前職場のお客さんや友人と会って、なんて思っていたんですけどね。

全部潰れました。そもそも前職場も休業だし。

それでも、北京で一番仲良くしていた中国人の友人と日本人の友人には

それぞれ会ってかんたんにだけど飲んで食ってをすることができました。

いずれにしても、またご友人にきちんと会いに北京に行きたいですね。

 

まあ、それにしても

人が居ない北京。

交通機関が快適すぎる。

バスに乗っても渋滞ないし、客なんてひとりか二人くらいしか居ないし。

商業施設については開いていない場所が多かったようですが(開いているデパートもあったけど)

公共の交通や、役所、ほか公の施設については案外開いていました。

 

北京でもまだ健康码みたいなのを始めたばっかりだったんでしょうか。

ちなみにダウンロードしてみましたが、外人はパスポートを身分証明とできなかったため登録できませんでした。

まだそういう制度が徹底されていなかった頃の話です。

その後どうなったのかあまり知りませんが。

 

↑空港の安全検査の入り口です。東北地方の辺鄙な街に住んでいたのですが、こんな整然と整列しているところなんて10数年居て初めてでした。まさに厳戒態勢。ちなみに足元に印がついています。

 

↑この日は妙に街の上をぐるぐるとしばらく飛んでいました。最後にゆっくり街を上から見下ろせた感じです。ちょっと感慨深かったですね。随分長いこと住んでいた街だったので。(うち3年程度は北京に居ましたが)

 

↑出発前にあんだけ整然に並んでる!すげぇ!

って思ったのに、到着するといつもどおりに出口に殺到するやつ(もちろん出口は開いてない)

そしてこのまま5分から10分立ったまま待機するやつ。

これだけはずーっと変わらなかったね(笑)

 

↑大兴空港到着のため、市街地に出るための地下鉄。

やっぱりがら~ん。

まあ、ここは前回来たときもこんな感じだったか。

 

↑前職場のそば。三里屯。やっぱりがら~ん。

ここじゃないけど、税務署なんかは結構人がいました。

 

↑友人と会ったあとに乗った地下鉄。

がら~ん。

ここは結構新しい路線みたいだったし、時間も遅めだったから余計に。

 

 

↑27日の天安門付近。バスもがら~ん。
外もがら~ん。
でも若干人はいるっちゃいるみたいね。
 
そういえば、この数日でシェア自転車乗りまくりました。
なんかキャンペーンやってたので。
コロナでまた自転車が見直されているようですが、今現在はどうなんでしょうね。
 

ひたすらに人の居ない北京空港。

北京の空港も随分と何回も利用しましたが、後にも先にもないんじゃないでしょうか。

こんなに人が居ないの。

まだこの頃は出入国の制限を行っていなかったため
飛行機代金はまあ割と普通の金額でした。
ただ利用者は少なかったですけどね。やっぱり。
 
 
↑そして日本到着後にもらった紙っぺら。
検疫、ザルでした。
まあ、無事帰りつけたから良かったものの、
少し遅きに逸した感はありますね→入国制限と隔離。
 
自分はしばらく実家に世話になるため、実家の両親も高齢なので
ウイークリーマンションを借りて2週間ほど自主隔離しました。
(極力人が密集しているところへは行きませんでしたし、外食も極力控えました。散歩とかはしましたが。)
その後入国が結構厳しくなりましたが、入国後の手続きやら隔離やらについて
素直な感想として、これらに文句をつけてるわがままな人たちって結構いるんだなあと思いました。
 
それでも中国から帰ったきた人間から見た帰国直後(3月はじめころ~)は
ちょっと想像を絶するゆるさだなと感じました。
今思えば、中国の人たちがビビりすぎている感もありますが、
それでもマスクもしないで夜繁華街でぎゃあぎゃあ騒ぎまくってるとか死ぬぞ、と思ってました。本当に。
 
幸い自分は健康に2週間を終え(散歩のし過ぎで足が痛くなったりはしたけど)、無事に実家に戻れましたし、
日本でも感染大爆発、といったことにはならずに済みましたが、それでもやはり犠牲になった方もいましたしね。
 
そもそも武漢で抑えることができていたはずだ、っていう意見はもちろんそうなのですが。
それが大前提にはあるのですが
対応の仕方として、中国式の結構厳しい制限と日本式のゆるい自主制限と、両方見ましたが
一長一短ですかね。安心感としては厳しい制限のほうがあるような気もします。
 
いずれにしても現在まだ進行中なので今後どうなるかわかりませんしね。どっちが良いかはね。
 
 
ということで、2007年10月からの長きに渡った中国東北部(及び数年間は北京)滞在が終わったわけでした。
これで一区切り、ですね。
ちなみに帰りの飛行機ではずっと前からWINGERのSO LONG CHINAを聴くんだ!と決めており、
しっかり機内で聴いてきました(笑)
 
さて、その後ですが
本来台灣に出ようと思っていたのですが、現状まだコロナの状況が落ち着かず
実家でフラフラしている状況です。
長い間家を出ていたので、両親との時間をしっかり取れている今の状況を楽しんで居ます。
 
ある程度コロナが落ち着いたら次は台灣。
 
さあ、楽しみですよ。
早くコロナ終わりますように!