梵我一如
ブラフマンとアートマン
この世で起こる事は、「一つの意識」の、指人形遊びなんだと思う。
「一つの意識」が、十本の指を使って、自分、お父さん、お母さん、兄妹、友達、恋人などなど、それぞれの指の役割を決めて、自分の好きなストーリーを決めて遊ぶ。
でも、「一つの意識」の「意識・目線」のままだと、この世での、それぞれの立場を楽しみ切る事ができないので、中指なら中指の「意識・目線」に成り切って、この世で起こる様々な出来事を楽しむ。
でも、中指の自分は、いくら「自分は自分」と思って考え行動しても、所詮、「一つの意識」に動かされている。
そして、その「一つの意識」とは自分自身。
この世とは、「一つの意識」が「(自)らを様々な意識に(分)けて」、自分で自分を自由に操り操られて遊ぶ「自作自演」の場所。
そして、自分という物語を盛り上げてくれる大好きなあの人も、大嫌いなアイツも自分自身。
更に、自分の中の大好きな部分の自分も、自分の中の大嫌いな部分の自分も自分自身。
大好きなあの人や、自分の中の大好きな部分の自分に感謝できるのはもちろんの事、様々な事に気がつけば気がつくほど(目線が上がり、一つの意識の視点に近づけば近づくほど)、いつしか、大嫌いなアイツも、自分の中の大嫌いな部分の自分も、許せる日がやってくる。
だからこそ、自分のやりたいように、生きたいように生きれる‼️