生産性ゼロの生活を何日かしてみた。
いわゆる片付け、洗濯である。
これをやっていて、主婦の方々の年収論争があったのを思い出した。
いくらか忘れてしまったが、やっていて内助の功とはこういう事を言うんだなと思った。
人の生きていくのには生産性がある活動と無い活動がある。
これが人の成長(年齢面)というファクターから見ると、若い頃には生産性がある活動しかしなくて良い状況があったりする。
だから、生産性が無い活動をしていると違和感を感じる。
一方、年齢が進んでいくと、生産性の無い活動に時間を取られていく事が起こる。
これは病気という意味でもそうだし、上記に書いたもの、そして独り暮らしを始めると、今まで分かっていなかったものが漸く見えてくる。
これをやっていると、親の有り難みを感じる。
いかに生産性ゼロの活動をやらなくても良かったを痛感するのである。
年齢を重ねると、上記の事が分かってくる事が歳を重ねる本質なのかなと思う。