これからの社会で生きていく為に

これからの社会で生きていく為に

2006年から日本は人口減少という問題を抱えることになります。そして今までのパラダイムが全く通用しなくなっていきます。このような状況の中でどのような社会が現れてくるか考えていきながら、想続というテーマが今後どのようになっていくか書いていきたいと思います。

先日のお客さんの3年の動きを聞いた。

石の上にも三年いれば暖まるの諺の通り。

3年であるビジネスが立ち上がった。

これで何とか流れができたようである。

どれだけ変化が早いと言っても、この諺の効用は現代でも使えるのであろう。

仁は人の心なり、義は人の路なり。その路を舎てて由らず、その心を放ちて求むるを知らず。

哀しいかな。

 

仁は人の心であり、義は人の道である。だが、その道を捨てて歩まず、

その心を失っても顧みようとしない。悲しいことではないか。

「仁」とは、思いやりの心、「義」とは、人間として踏まなければならない正しい道である。

 

 

今日は2件、お客さんのところに行った。

1件は継続のお客さん。

もう1件は復活のお客さん。

後者についてはほぼ流れに乗せる事ができた。

これは前任者の力量によっている。

一方、前者は私が継続。

約1ヵ月寝かせたせいでかなりの宿題が溜まっていた。。。

自分が放置した時には宿題。

一方は流れた。

この事象を見て、自分がやらなくてはいけないのを実感した。

この宿題の溜まり方はかなりヤバい。

何日かかけてこれを埋めていく。

そんな作業をしていく1週間になるのだろう。

 

天下生じ易きの物ありと雖も、一日これを暴め、十日これを寒さば、

いまだ能く生ずる者あらざるなり。

 

天下にどんなに育ちやすい植物があったとしても、一日だけ日光に当て、

十日間冷やし続けたのでは、芽の出しようがない。

人間もそれと同じ。せっかくよい素質を持っていても、環境が悪かったのでは、

伸ばしようがないことを喩えた。

 

 

これからの日本では生きているだけで自分の運を使う。

こんな環境となっている。

毎日、毎日、時限爆弾がいつ爆発するか分からない社会。

ある意味でお金がある地域で住んでいるとこれは少ないが、

地方ではそうではないのである。

橋の問題。上下水道の問題。

これらはいつ何が起こってもおかしくない環境である。

場所によってはトンネルの上部が落ちて来る。

これによって犠牲者になる。

何が起こってもおかしくない。

そんな中で生きていく術は何か。

逆の意味では長生きすればするほど日本は悲惨になっていくので、

早くの方がある意味で幸せで生きていけるのかもしれない。

荀もその養いを得れば、物として長ぜざるなし。

荀もその養いを失えば、物として消えざるなし。

 

草木にしろ良心にしろどんなものでも、大切に育てれば必ず成長する。

しかし、育てるのを止めてしまえば必ず枯れてしまう。

人間はよい素質を本来的に持っているとはいえ、養う努力をしなければ消えてしまう。

 

 

私の家に斉藤〇彦がいる。

さっさと謝罪したら良いのにと思うのだが、頑として謝罪しない。

何故、謝罪をしないのか。

子どもの頃に謝罪をした事が無いからだろう。

私の家の人は歯医者にもらわれていって何不自由なく育てられた。

いわゆる使用人がいて、叔母さんたちが可愛がり過ぎて育てられた。

その結果、自分が主体的にやることはなく、周りが何か解決してくれる。

こんな状況が生まれたのだろう。

そして子供を育て、その子供が大きくなったら、子供からは捨てられた。

それが謝罪しないから。

毎回、自分は悪くない。

そしてそんな事は言ってないと言い張る。

誰かの記者会見を見ていて、同人種だなと思う。

子育てとはこんな事にも影響する。

ちゃんと謝れる状況を子供の頃にしているか。

それによって社会から総スカンをくらう。

こんな型を記者会見では見せつけてくれているのだろう。