ある人がある方にインタビューしているのを聞いた。
このインタビューはこの業務をしている他の人に対してのものだった。
私は最初の1分で凄いと思った。
この話をこの人に対して話をした。
それが川のお話である。
この人と私はある川岸にいる。
一方、他の人はいない。(向こう岸にいる。)
こちらの川岸にいる人にしてみれば、向こう岸にいる人がどうやってこちら岸に来れるかは知っている。
しかし、この行き方を説明しても全く相手には伝わらない。
こんな事を話した。
そしてこの話の後、別の人が話をしているのが聞こえてきた。
この話を聞くと、本当にヤバかった。
どうヤバかったかは、余りにもア○過ぎたからだ。
自分の確認の甘さ、自分の知識の無さなどこの人の全てが表現されていたからだ。
そしてこの人はいつも忙しくしている。
私から見れば、忙しいのに満足しているだけである。
この状況を見ていて、忙しいの質は人は問わないんだなと思った。
確かに私がハイパーに忙しかった時に質は問われなかった。
そしてこの点について指摘できないのだと思う。
人は忙しいのに満足してしまうからである。
そういえば、コンサートスタッフをやっていた自分がまさしくそうだった。
これをどう変えるかという視点はどこかのタイミングでは出てきたと思う。
私が『この満足感はまやかしだ。』と言ったのを今、書いていて思い出したからだ。
さて忙しいの質を変えるにはだが、一言である。
二度手間をいかに減らすかである。
上に出てきた人は何度手間なんだろうと思うくらいである。
仕事、全く進んでない。
大丈夫なのだろうかと思うのだが、いつものキャラできっと誤魔化しているのだろう。