日本の心を想い出す   千年の時を超えて明かされる真実 | 自己肯定力を高める心の本棚 リミットレスな人生  

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世界観をご一緒しましょう

 自己肯定力を高める心の本棚

 ナビゲーターのsumikaです

 

歳を重ねたせいなのか

血の通った人間である事の

表現される世界観に浸りたく

なります

 

わたしにとりましての

心の温泉なのでしょう

海外旅行は大好きです

 

ですが自分の住むこの国に

絶望はしたくないのです

いろいろありますが

日本の心を想い出したいなと

思いました 

 

 

 

 

 

 



​本日は
ねずさんの
日本の心を読み解く
百人一首

国司研究家
小名木善行さんからの
学びをナビゲートさせて
いただきます照れ



 


🟠和歌は日本文化の原点


「五七五」上の句と

「七七」 下の句という

三角形の底辺の両端として

イメージすると

頂点が「本当に伝えたい事」


アップアップアップ


多くの和歌にこの手法が

用いられている



この手法を用いている

場合本当に伝えたい事は

文字でかかれていない!!


一番大事な事は

隠すという文化

それを「察する」という文化

交差しているからこそ



和歌は「日本の文化の原点」

と言われている






🟠なぜ千年前の日本人が

察する文化を大切にしたのか?




聖徳太子の「十七条憲法」の第十一条

「明察功過」

功績も過ちも先に明らかに察しなさい

そして賞罰は察して事前にしてあげなさい



照れ例えば


ある生徒が虐めにあい

精神的に支障をきたしたとき

誰がいじめたのか?を

裁く事よりも



学校の先生は

どうして事前に察して

手を打つ事ができなかったのだろう?

と感じることができる




事件や事故が起こる前に

対処するのが施政者の

使命であるという事を

本気で実現しょうとしていた



※昨今では安倍元首相の警備問題など

様々な意見が飛び交いましたね。



平安貴族は決して

政治の事をほったらかして



和歌に興じていたわけではなく

「察する」能力を高めるために

さかんに和歌を詠み、

他の人の和歌を詠んで学んでいたという




🟠百人一首とは


代表的な小倉百人一首

京都の小倉山の山荘

藤原定家ふじわらのていか

による編纂(平安末期から鎌倉時代初期)

源実朝の歌の師匠でもある


※実朝は鎌倉右大臣として

九十三番歌を詠んでいます


世の中は 常にもがもな

渚漕ぐ 海人の小舟の

網手かなしも


世の中は永遠に

変わらないでほしいものです


渚を漕ぐ漁師の小舟が

網手でひかれる様子は

なんともせつないものだけれど。



実朝は大変優しく繊細な心の

持ち主でした



己の人生を現すかのような

せつなさです


藤原定家の歌の愛弟子を

亡くした想いとともに

深く感じるものがあります






※絶賛放映中の大河「鎌倉殿の13人」でも時代背景は

想像できますね!まさに激しき変わり目の時代を

生きた人なんですねガーン



一番歌から百番歌まで

順番にも意味があると

定義して読み解くと



文字に書かれていない

本当に伝えたい事

魂に訴えかけてくるのだ



※たんに古いものから数字を

ふっているだけで意味はないと

いう解釈もあるそうだ



ラブラブわたしは断然、

数字の流れは

つながっていて

意味があるのだという

読み解きの方が

腑に落ちたし

ワクワクして楽しくなりましたラブラブ



🟠百人一首の著者達と

歌のカテゴリーラブ


天皇、親王 10人

貴族    57人

女房歌人  19人

僧侶、隠者 14人


恋     43人

四季    32人

雑     20人

その他   5人



うんうん、怨念になりそうなくらい

情熱的な恋の歌のイメージあります。

あさきゆめみしの見過ぎかもチュー

そういえば誰かに貸したまんまだわーー



そして

藤原定家さんは

一途な人で同僚とやりあうは

クビになるはですごい信念の人




単なる和歌の達人ではなく

朝廷右差し武士へと

移りゆく時代の中で

筆を持って鎌倉勢力

たたかった人なのだ




百人一首の歌番九十九と百は

鎌倉とたたかった

後鳥羽親子で締め括られている


歌の順番にもストーリーがあるのだ!





🟠一番歌
天皇も率先して働く国

天智天皇 中大兄皇子


秋の田の  刈穂の庵の
苔をあらみ 我が衣手は
露に濡れつつ


秋の田んぼの脇にある

仮小屋の屋根をふいた

苔の目が粗いので

私の衣の袖はつゆにぬれて

しまったよ



!?多くの解説書では

つまりは小屋が粗末だから

ワシの着ている服がつゆで

ぬれてしまったじゃないか?

と言っているうーん




表面的な意味は間違いではないけれど

本当に伝えたい事を

察していないのだ!



それでは名歌でも

なんでもないじゃないか!

部下に文句を言ってるだけだゲラゲラ

と著者は言っている


著者の読み解き


作業場を視察しただけではなく

天智天皇が自ら

作業をしたからこそ

「私の袖がつゆで濡れている」

とはっきり書いてある




歌一番の価値ある 

歌人としての

天智天皇は民と一緒に働いた

私達民衆がおおみたからである

ことを初めて具現化した

世界史上類い稀な偉大な天皇だったという






🟠二番歌 女性天皇の

究極の夫婦愛と日本人の

死生観


持統天皇 女性天皇ですよね^_^




春過ぎて 夏来にけらし
白妙の 衣干すてふ
天の香具山


春が過ぎて夏が来た

純白の衣を干そう

天の香具山に




!?持統天皇が絶対的権力をふりかざし

ある日女官達に命令して

宮中を流れる川で洗濯をさせた

そしてわざわざ

遠くに見える香具山まで

洗濯物を干しにいかせたと

いう解読があるそうだ



著者の解読


春が過ぎて夏がきたことで

洗濯をする川の水が

心地よくなった



そして当時洗濯は女性の

大切な仕事であったので

持統天皇自ら洗濯をしていたから

こその体感を歌で詠んでいるのだ




冬の川の水の冷たさを知り

夏の川の水の心地よさも

知っているからこそ


「白妙」になるまで

洗濯物が真っ白になるまで

作業しておられたのだろう


そして亡くなった夫である

天武天皇に


わたしはがんばっているわよ!

あなたみていてくださいとの

想いを詠み


香具山を亡夫にみたてているのだ

だからこそ

天の香具山と綴っているのだそうだ照れ


真っ白になるまで洗濯をする行為

魂の洗濯そして浄化を表しているのだ





みなさんはどちらの

読み解きがピンときましたか?


🟠恋の歌と有名人の歌を

いくつかご紹介




九番歌


小野小町


花の色は

移りにけりな

いたづらに

我が身世にふる

ながめせしまに




桜の花の形は変わっていきました

春の長雨の降る間に

私も年を重ねてきました

物思いをしている間に





この歌があまりに美しかったので

小野小町は

絶世の美女扱いだそうですよ口笛

うちから溢れ出す美しさなんですね!




四十番歌


平兼盛


忍れど いろにいてにけり

わかこひは

ものやおもふと

ひとのとふまで



好きになった女性への

思いを心に秘めて

隠していましたが


どうやら顔にでてしまったようです

「あなたは恋をしているのですか?」

と尋ねられるほどに


夜通し盛り上がる歌合せの会で

恋をお題にして

競い合って勝ち取った

歌のようです!

隠し切れない片思いの気持ちが

純粋につたわってきます照れ


五十六番歌


和泉式部


あらさらむ

このよのほかの おもひてに

いまひとたひの

あふこともかな


もうじき私はこの世を

去りますが

あの世の思い出に

もう一度あの人に逢いたいのです



この時代の逢いたいとは

あなたに抱かれたいという

意味なのでかなり

ストレートな感情表現だそうです!




六十二番歌


清少納言


夜をこめて

鳥のそら音は

はかるとも

よに逢坂の

関は許さじ




夜明け前に、ニワトリの鳴き声に

かこつけてわたしを騙そう

としても、決してあなたとは

逢いませんわ



浮気は決して

許しませんという

想いなんだそうですびっくり




🟠天皇ではじまり

天皇で締め括られる


後鳥羽院への鎮魂の意も含まれる







衰えていった朝廷への想いと

鎌倉に挑んだ気持ちの

現れと

定家を引き上げてくれた

歌のライバルでも

あった後鳥羽院への想いが

こもった選歌である




九十九番歌


後鳥羽院


人もをし

人も恨めし

あぢきなく

世を思ふゆえに

もの思ふ身は



人も愛しいし

人も恨めしいのです

この世は味気ないと思いつつ

物思いをしている私は




出家さへ許されなかった

後鳥羽院の憂いも現れている

そうです


※まさに大河の主役義時に

隠岐に流されました



百番歌 最後の歌


順徳院 後鳥羽院の息子


ももしきや

ふるきのきはの しのふにも

なほあまりある

むかしなりけり



都の皇居は荒廃し

今では屋根の端に

シダが生えている有様です


いくら忍んでも

忍びきれないのは

古き良き時代のことです





後鳥羽院の息子として生まれ

佐渡に流され、

自ら命をたったと言われています




未来に託す祈りの和歌として

順徳院存命中に

定家は編纂したのです




あまりの興味深い

情報量なので

伝えきれませんが


坊主めくりなどの

かるた遊びとして

だけではない

百人一首の本当の

魅力を少しでも

わかちあってくださったら

嬉しいです


一番歌から始まり

百番歌で締め括られた

壮大なストーリー


現代の私達と変わらぬ

さまざまな心の葛藤

や悩みそして愛の営み


私達日本人の

集合意識に根付いている

物語を感じながら


和歌を通して

日本の心を察して見よう

と思います



認知症の母親も

大好きなかるた遊び

ですが


これまでより

愛を感じながら

楽しめそうです



そして古典はロック!!

と教えてくれた

友人に感謝ラブ




最後まで読んでくださり

ありがとうございます