こんばんは!
昨日は「人を疑う必要がない世の中にいても楽しいのか?」という問いに答えることが出来ないまま、終わってしまいました。
皆さんの中では何かしらの答えを見つけることが出来たでしょうか?
私は「楽しい」のではないかと思いました。
しかし、「楽しくない」もまた、正しいと思います。
ただ自分だったら、楽しく生きていくことが出来るのではないかと思ったにすぎません。
これが一般的な解になるとは到底、思いません。
では、なぜ楽しく生きていくことが出来ると思ったのか?
まずは少し、そんな世の中を想像してみます。
疑う必要のなくなった世界には「詐欺」や「裏切り」といった言葉はなくなります。
他人を信じて保証人になったが、その人がお金を返さずに自分が払うことになり文無しになる、や、頭がいい友達の「自分は勉強してないよ!ただ遊んでるだけ」という言葉を信じて勉強をせずに受験に失敗するということもなくなります。
これまで、そのようなだまされた経験をもとにした素晴らしい歌や詩、本、映画が生まれました。
また、そのようなことにならないように人は本を読んで勉強し、自分の知識を増やすという努力をしてきました。
そのようなことは「人を疑う必要のない世の中」ではなくなります。
例えるなら、霧がすっきりと晴れて遠くまで見渡すことが出来る世の中というものでしょうか。
今の世の中は濃い霧がかかっているため、近い将来のことでも予想するのは非常に困難になっています。
しかし、その濃い霧の中で必死にもがき、前に向かって進もうとする。(その「前」というのが目的地の方向であるかはわからないが・・・)
その過程が今の人生を味わい深い世の中にしている。素晴らしい作品を生み出させている。このような見方もできると思います。
しかし、私は霧がすっきりと晴れ渡った世の中に生きていたって、別に空虚な人生を送るということにはならないと思います。
まず、人に騙されることがなくなるわけだから私たちは他人を信用するようになり、今よりももっと積極的にそして、深く人助けをしようとするでしょう。
その中でもいろいろな葛藤があるでしょう。
今までとは違うことで悩むこともあるでしょう。人を完全に信用することが出来るというのも十分、複雑なことだからです。
相手は疑いを持っていない。そして、この世に「裏切る」という概念はない。そのような世の中においてその信頼に応える過程も十分複雑なものではないでしょうか?
私達、人間は本来、このことで悩み、苦しみむべきではないでしょうか?
つまり、私達が今、主に悩んでいる「疑い」というものは幼稚なもので、この「信頼に応える」という、より高度なもので私達はもっと悩むべきなのではないでしょうか?
少し理屈っぽくなってしまいましたが、私はこのように思いました。
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