秘めた才能を開花する皆さまへ
おはようございます
開花シャーマン TOKOです。
ご訪問ありがとうございます。
日記をつけてる人が
「紙だと誰の目も気にせず好きに書ける」
と言ってるのを聞いて
ちょっとドキッとした。
「本音で語る」としてる私のブログ
最近、違和感が顔を出す頻度が増えてきたので
ここらでちょっと気持ちを新たにしたいと思う。
長年ノートに日記を
書いてた者としては
紙に書く時は本当に赤裸々。
言葉遣いとか表現方法とか
一切気にしない。
私にとって日記を書く事は
自分の中に生まれた感情を
余すことなく吐き出す作業。
食事→消化→排出する身体と同じで
日記は消化と排出を担ってくれている。
消化不良のものをただただぶつけたり
消化できてスッキリした嬉しさを綴ったり
内容は様々やけど
自分だけと対話する紙の日記と
誰が読むか分からんブログ
ブログ開始後(2018年ー2024年)
読んでくれる方が嫌な気持ちにならないよう
という想いを強く持ちながら書いてたけど
今年1/23、再開してからのブログは
「本音で語る」としてるように
思うまま感じるままに書こうと思って書いてきた。
あれから半年
なんか、ちょっと
ズレてきてる気がする。
時間が経つにつれて
昔の思考癖がチラチラ出てきて
ええかっこしようとする
自分が居ることに気付く。
「誰かにとって
不快に感じるかもしれない」
表現を、言葉遣いを
最初から避けようとするのは
気遣いという点では良いのかもしれないけど
誰かにとっての「良い」を優先することで
自分の「素直な感情を表現したい」想いが
後回しになるなら、ブログを再開した意味がない。
ブログ再開後の私が
読んでくださる方に伝えたいのは
「素直な気持ちを表現して良い」ってこと。
それにはまず私自身が素直な気持ちを
表現しよう、表現したいと思ったん。
自分だけが読む日記と同じように。
(まだ完全には出来てないがね)
大人になると
「大人なんだから」とか
「わきまえて」とか
「人に迷惑にならないように」とか
自分を縛るルールが増えて
そのルールを守るのに
最も邪魔というか
害するものと一般的にみなされるのが
「感情」であると私は思ってるねんけど
喜びや怒りとかの感情は
自分の今の心と身体の状態を
最も分かりやすく伝えてくれる
ものすごい有難いサインで
すんごく大事なものやと思うんね。
自分の中から生まれ出てくるものは
全て自分を守ろうとして出されるサイン。
感情を無視したり蔑ろにすると
心と身体が限界を迎えて
活動することをやめてしまう。
心と身体の復帰は
めちゃくちゃ時間がかかるし
疲れすぎて心が動かなくなった時
本当に危ない。
ある意味、怖いものナシやけど
何にも心が動かないから
あっさり自分を捨てようとしたりする。
(経験談)
話を戻して。
「素直な気持ちを表現する」ことは
「誰かに迷惑をかけてしまう」
「誰かを嫌な気持ちにさせてしまう」
可能性を孕むが
気遣って表現したとしても
誰かに迷惑をかけたり
誰かが嫌な気持ちになる可能性が
ゼロになるわけではない。
というか
何が、どう迷惑になるのか
何が、嫌な気持ちにさせてまうか
誰にも分からんねん、コレ。
(人が違えば喜びになったりするし)
迷惑かけられたー思ったとしても
それキッカケで
素敵な出会いが生まれることもあるし
相手の言動→怒りが湧くことで
自分が見ようとしなかった
コンプレックス気付いて
結果向き合えたりするし
そもそも「迷惑」とか
「嫌な気持ち」って
なんなんでしょうね。
それ自体がまるで悪いもの
みたいな扱われ方してるけど
本当にそうかなぁと思う。
自分を観察してて思うけど
自分の精神・身体状態によって
相手の言動の受け取り方、感じ方って
めっちゃ変わるもんね。
素直な気持ちを表現して
ご縁が切れる場合もあれば
ご縁が繋がることもある。
ご縁は遅かれ早かれ
時期が訪れたら自然と
くっついたり離れたりするもの。
自分では、どうこう出来ないんよねー。
(してるように見えるだけ)
このブログでの私の素直な気持ちが
どなたかにとっての
心さん身体さんの解放に繋がれば
嬉しいなと思いつつ(^^)
自分だけが読む日記みたいに
赤裸々に書いていきたい。
(引き続き挑戦してくわな)
(ドキドキ)
では、また。
お付き合い頂き、ありがとうございます。