一般的には、どちらともいえない。お好みでどうぞ、という結論がお決まりである。

 

この結論は、AIの落とし方と同じである。これでは、どっちを買おうか迷っている人の助けにはなっていないのではなかろうか?

 

が、ただ、それでは何なのか、多少は好みの違いに触れるのもこの手の話題の定石である。多少はそれを参考にということだろうが、これとても迷っている人の助けとなっていない気がする。

 

両社の製品の違いを上げて比較し、良い点、悪い点(!)を述べてあることが多い。その上で「結局は買う側の好みの問題です」となるわけである。

 

買う側の好みがどうかということについてはっきりと明言していなければ、つまりあなたはどっちですか、と言ってなければ何の意味も持たないだろう。では、

 

好みとは何か?ずばり!

実感的かどうか

言い換えるならば、実感というものをどうとらえるか、ということになるように思う。そこで、両者の違いを端的に表せば、

 

Tomixの製品は、外観重視です。KATOはどちらかと言えば走行に重きを置いていましたが、Tomix製品の売れ行きから外観重視になりつつあります。今後は、両社の製品の違いは、KATOのかっちりした(冷たい)造形かTomixのジオラマ用品のような(トミカの鉄道車両版)造形か、という作りの違いだけになると思われます。

コレクションという側面の強いNゲージの性格から見て、走りのないKATOのNゲージ製品は、面白み(愛着が持てるか)に欠けるかも知れません。

 

と言うしかない。

 

鉄道模型を趣味としていた自分としては、断然関水金属派だったのだが、走らせずにただ眺めるだけならば、Tomixの方に軍配を上げるしかない。KATOの車両が生き生きとするのは走らせているときなのである。

 

トミカやプラレールなどトイとしてのノウハウも持っているTomixの製品には、ちょこっと走らせて、後はコレクションとして眺めるという遊び方が主流なNゲージとしてはまことに的を得ていると思う。KATOは残念ながら、昔気質のお年寄りにはまだ雰囲気として(工作や走行重視だぞーという気概)受けるかも知れないが、現在の意味不明なギミックや未消化なTomixの模倣部分(キャラクター)はいずれこれからのモデラ―には受け入れなくなるのではないかと心配に思う。デフォルメという部分ではTomixの製品は、コレクターの心を見事にくすぐる。

 

今のNゲージャーは、外観重視で走りというものをそれほど鉄道模型に求めていない。その例として、

 

一般的なNゲージャーはカプラーの台車マウントを好まないという点を挙げることができる。特に機関車ではもはや受け入れられない仕様となっている。スムーズな走りの実現という意味では1/100以下の縮尺の模型では非常に合理的な構造だが、実感的ではないということのようだ。

 

挙げればきりがないのだが、レイアウトという言葉よりもジオラマの方が一般に通用する時代では、昔ながらの鉄道模型は消滅したと言ってよい。そして、これからの時代にあったNゲージが新しい趣味となったと考えるべきだろう。

 

企業も売れる製品を出してくるだろうからKATOがだめだということではない。EF55を出したというのは驚きだし、BigBoyも出すそうである。

 

⇑自動生成で出してみたよ

Text2Img というのは、書くと描ける

ということ

つまり文章で書いて絵にすることができるよ、ということなのです。

 

「Japanese steam locomotive type 9600」と書けば、9600の画像が出るはずです。

 

やってみました。

 

じゃーん。

何じゃこりゃ。こんなはずは…

訳が分からん。でたらめもいいところ。悪化しとる。

 

これがAIのイメージした9600の姿。

 

何も考えとらん。ま、データが足らんとこうなるということ、です。

 

新幹線を出してみる。

 

 

なんか、まあ、それっぽいね。

 

8620

D51

C62

何かもう、何十年か先の蒸気機関車のイメージかも知れない。

 

ま、お笑い提供ということで、おしまい。

結論

現状、奪えない

昨年、画像作成AIが無料公開されたことを受けて、それ(Stable Diffusion)をベースにした多くのコンテンツ?が出回っており、日々有志によってバージョンアップされている。その勢いは、3日たてば、もはや今自分が使っているシステムは古いという状況である。

 

私も自分のパソコンに導入してみた。論より証拠、作成した画像を見ていただこう。

こういうのが、どんどんできる。

 

巷で人気なのは、キャラクターづくりのようである。

こういうのもできできちゃう。

 

顔がいかにも、たこにも、という感じ…

 

現実にはどこにも存在しないが、写真ぽく作ればいかにもありそうである。

 

強引に写真風に出力させたが、ようく見ると、残念なところがいっぱいである。手、足がうまく表現されないのである。顔もよく潰れてしまう。何十回と作らせなくては、まあ、よくできたかなというのがない。実写風なものははっきり言って運任せである。上の絵のようなものでもまあうまくいった方である。試行回数が半端ない。

 

すぐに不自然なところは改善はされるだろうが、それでもAIの致命的な欠陥を知るには十分である。

 

chatGTPももちろん試してみた。

AIの致命的欠陥

AIは人工知能と言われることもあるが、人間のように判断できない。しない。正誤の区別ができない。つまり、考えるということをしない。

 

従来の日本の教育のように、ただ知識をため込み、つじつま合わせでことを丸く進めようとするだけである。

 

知識の正誤を判断しないから、間違いだらけである。

 

chatGTPは、計算をさせると、間違った答えを平気で出す。自分で計算をしていないようだ。つまり、知識として膨大な数の計算そのものを覚えてるだけでその中からもっとも多いものを選んで回答として出しているだけである。

 

正しい結果を出すという作業は人間だけができる。つまり「真理の追究」という作業は人間だけに与えられたものであるということである。

 

絵を描く場合も同じである。最初に挙げた絵も先ずオリジナルの絵があってそれらを途方もない数覚えこんで、多いものを共通パターンにして、後は適当に丸く収まるようにつじつま合わせをしているだけである。

 

共通するパターンに見られる理由など考えない、見つけることなどしてないようである。だから、手、足の数や指の数が多かろうが少なかろうがありえないところから生えていようがAIは少しも気にしない。

 

AIが普及すれば、その編集の仕事が増えるのではなかろうか。もし、しなければうその情報が氾濫し、社会は混乱するだろう。

 

また、芸術の面では、今以上にオリジナルの作品が求められるようになるだろう。

鉄道模型に例える

東北時代の蒸気と九州時代の蒸気が同じわけはない。自然の地形が違うし、天候も違う。

 

生きて働いた場所の違いが、蒸気の装備の違いとなっているはずだ。違う場所の装備が混在しているのは、AIのしくみ同様、嘘っぽいと思う。

 

嘘とフリーランスの違いはここにある。