1 主はヨシュアに告げて仰せられた。

2 「イスラエル人に告げて言え。わたしがモーセを通してあなたがたに告げておいた、のがれの町をあなたがたのために定め、

3 あやまって、知らずに人を殺した殺人者が、そこに逃げ込むことのできるようにしなさい。その町々は、あなたがたが血の復讐をする者からのがれる場所となる。

4 人が、これらの町の一つに逃げ込む場合、その者は、その町の門の入口に立ち、その町の長老たちに聞こえるように、そのわけを述べなさい。彼らは、自分たちの町に彼を受け入れ、彼に一つの場所を与え、彼は、彼らとともに住む。

5 たとい、血の復讐をする者がその者を追って来ても、殺人者をその手に渡してはならない。彼は知らずに隣人を打ち殺したのであって、以前からその人を憎んでいたのではないからである。

6 その者は会衆の前に立ってさばきを受けるまで、あるいは、その時の大祭司が死ぬまで、その町に住まなければならない。それから後、殺人者は、自分の町、自分の家、自分が逃げて来たその町に帰って行くことができる。」

7 それで彼らは、ナフタリの山地にあるガリラヤのケデシュと、エフライムの山地にあるシェケムと、ユダの山地にあるキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンとを聖別した。

8 エリコのあたりのヨルダン川の向こう側、東のほうでは、ルベン部族から、高地の荒野にあるベツェルを、ガド部族から、ギルアデのラモテを、マナセ部族から、バシャンのゴランをこれに当てた。

9 これらは、すべてのイスラエル人、および、彼らの間の在留異国人のために設けられた町々で、すべて、あやまって人を殺した者が、そこに逃げ込むためである。会衆の前に立たないうちに、血の復讐をする者の手によって死ぬことがないためである。

 

主が語られる、という記述はひさびさ

モードが変わった

 

のがれの町について、1章をかけて説明していることを不思議に思い解説に頼ったが・・・・

戦闘フェーズから統治のフェーズへ

その中でのがれの町がこれほど重視される理由は、私はまだいまひとつわかっていない

 

ただ、いくつか想像が膨らんだのは

これが戦闘フェーズの直後であること、つまり、民衆の多くが殺人に慣れてしまった状態であることが、まず統治の上でわかっておくべきこと

また、復讐という感情は、なかなか収まりがつかない”魔”であること

で、のがれの町の必要、まずもって設置すべきところであっただろうことはわかる

 

復讐というのは、連鎖していくものだ、それは歴史が物語る

人間の性質のようなもので暴走性があるから、どんどん破滅の方向へと加速させてしまう恐れがある

だからこそ、統治の上で重要な秩序を確立するためにも、のがれの町のポジションは重要で、かつ、人間のセンスではなかなか理解しにくく、発想にも上がらないものだけに、神が語られるという必要がある

 

とすると、この復讐すること自体、神のみこころではない、と解釈するのは行き過ぎか

ただ、あるとしても、神は一定の範囲で復讐を許容されることはあっても、それそのものを肯定はされていない---復讐は神が:ダビデの信念

 

もう一つ、静まる、ということも関連しているのでは

QT→Quiet Time---静まる時間---神の前で静まる

というのは、復讐という”魔”を捨てる時間とも言えるのでは

怒りの中で復讐はメジャーな要素、これを捨てて神の前で静まること

---静まって神を知れ:詩編

 

今日の適用は、復讐を捨てる・静まる、とした

朝から家内が何か怒っているが、この原因は私にある

私としては怒られるような事をしていないから、私も怒る

こういうマイナーな復讐の種を積むことから、神への従いが始まる

復讐まではいかなくても不条理な事への憤りなどを排して静まる