主は、私の救い主にお告げになりました。
「わたしに代わって、天地を治めなさい。
わたしは敵を服従させ、あなたの前にひれ伏させよう。」
2 主は、あなたが敵を支配するために、
エルサレムに強固な王座をお据えになりました。
3 あなたのご威光が輝き渡ると、
民はきよい祭服をまとって、
喜んでやって来るでしょう。
あなたは朝露のように、日々新しい力を帯びられます。
4 主は、こう誓われました。
「あなたが永遠に
メルキゼデクのような祭司であるという契約は
決して無効にはならない。」
5 主はあなたのそばにいて、あなたを守られます。
神はご自身の御怒りの日に、
多くの国々の王を打ち倒されます。
6 主は国々を罰し、指導者を全滅させ、
死体でいっぱいにされます。
7 しかし、主は道のほとりの泉から水を飲み、
勢いを増されます。
この賛美は「わたしに代わって」と入るからには、キリスト到来の預言か
そして「敵」とは、この世で存在が許容された悪か
昨日は滞在先の近くにある小さな教会の礼拝に参加した
家内の知人が牧会されているから、あいさつにうかがった
そこでメッセージとして語られたことととても大事な関係があると感じた
「治めよ」とは何なのか、大事さがそこにある
アダムは6日目に創造された
確かに神は7日目に休まれたから、それを安息日とされている
が、アダムは創造されてすぐに安息日に入った
アダムにとっては日曜日から人生がはじまったようなものだ
そして、アダムに与えられたミッションがあった
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」
治めよ、というミッションの前に、まずアダムがしたことは安息であるということ
まず安息
もちろん、だらっと過ごすことではなく、この安息が何なのかについては知っていくことは山ほどあるが、今日のところはお休みと考えておきたい
今日のみことば、この賛美の意味そのもののを神学的に捉える前に
私に飛び込んで来たものは、治める、その前に安息が「必要」ということだ
昨日の礼拝で受けたメッセージは、私にとって安息だっただろうと思う
今日から、私は「治める」ために働く
ここ何カ月か、仕事についてなかなか前向きになれない日々を過ごした
その中で、神の栄光を表すため、という単純ながら根本的な意味は見いだせていた
そこから更に、意味が与えられた
仕事に「治められる」ためではなく「治める」ために働くのは
神は確かに、アダムに「働き」をミッションとして与えておられるから、神の栄光のために働くということは、合理的だ
しかし、いつの間にか、神の栄光のためではなく、仕事の栄光のために働く、自分の栄光のために働く、そういう分野として取り組んで、神の栄光はまた別、のような感覚に落ち込んでいたのだと思う
働くことは、御心であること
働きの前に、主の安息を受けること
そして、治められるのではなく治めること、この地を治めるため
すごく強いエネルギーを感じて今日をはじめることができる
語ってくださって感謝します主よ