主は、私の救い主にお告げになりました。
「わたしに代わって、天地を治めなさい
わたしは敵を服従させ、あなたの前にひれ伏させよう。」
主は、あなたが敵を支配するために、
エルサレムに強固な王座をお据えになりました。

あなたのご威光が輝き渡ると、
民はきよい祭服をまとって、
喜んでやって来るでしょう。
あなたは朝露のように、日々新しい力を帯びられます
主は、こう誓われました。
「あなたが永遠に
メルキゼデクのような祭司であるという契約は
決して無効にはならない。」
主はあなたのそばにいて、あなたを守られます。
神はご自身の御怒りの日に、
多くの国々の王を打ち倒されます。

主は国々を罰し、指導者を全滅させ、
死体でいっぱいにされます。
しかし、主は道のほとりの泉から水を飲み、
勢いを増されます。

 

この賛美は「わたしに代わって」と入るからには、キリスト到来の預言か

そして「敵」とは、この世で存在が許容された悪か

 

昨日は滞在先の近くにある小さな教会の礼拝に参加した

家内の知人が牧会されているから、あいさつにうかがった

そこでメッセージとして語られたことととても大事な関係があると感じた

「治めよ」とは何なのか、大事さがそこにある

 

アダムは6日目に創造された

確かに神は7日目に休まれたから、それを安息日とされている

が、アダムは創造されてすぐに安息日に入った

アダムにとっては日曜日から人生がはじまったようなものだ

そして、アダムに与えられたミッションがあった

「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」

治めよ、というミッションの前に、まずアダムがしたことは安息であるということ

まず安息

もちろん、だらっと過ごすことではなく、この安息が何なのかについては知っていくことは山ほどあるが、今日のところはお休みと考えておきたい

 

今日のみことば、この賛美の意味そのもののを神学的に捉える前に

私に飛び込んで来たものは、治める、その前に安息が「必要」ということだ

昨日の礼拝で受けたメッセージは、私にとって安息だっただろうと思う

 

今日から、私は「治める」ために働く

ここ何カ月か、仕事についてなかなか前向きになれない日々を過ごした

その中で、神の栄光を表すため、という単純ながら根本的な意味は見いだせていた

そこから更に、意味が与えられた

仕事に「治められる」ためではなく「治める」ために働くのは

神は確かに、アダムに「働き」をミッションとして与えておられるから、神の栄光のために働くということは、合理的だ

しかし、いつの間にか、神の栄光のためではなく、仕事の栄光のために働く、自分の栄光のために働く、そういう分野として取り組んで、神の栄光はまた別、のような感覚に落ち込んでいたのだと思う

働くことは、御心であること

働きの前に、主の安息を受けること

そして、治められるのではなく治めること、この地を治めるため

すごく強いエネルギーを感じて今日をはじめることができる

語ってくださって感謝します主よ