全地よ、主に歌え。
日ごと、主が救い主であることを宣べ伝えよ。
24 主の栄光を国々に知らせ、
すばらしいみわざを、すべての人に語り告げよ。
25 主は偉大で、高らかにほめたたえられるべきお方、
すべての神々にまさって恐れられるべきお方。
26 他国で、神々と呼ばれるものはみな悪霊で
主こそが天をお造りになった。
27 尊厳と栄誉は御前にあり、
力と歓喜はみそばにある。
28 国々の民よ、
主の大いなる力と栄光とをたたえよ。
29 御名にふさわしく、ほめたたえよ。
ささげ物を携えて、御前に出よ。
聖なる衣を着けて、主を礼拝せよ。
30 全地よ、主の御前におののけ。
世界はびくとも動じない。
31 天は喜び、地は楽しめ。
諸国の民は言え。『主が王である』と。
32 大海は鳴りとどろけ。
野とその中にあるものは喜び躍れ。
33 森の木々も、主の御前で喜び歌え。
主が地をさばきに来られるからだ。
34 主に感謝せよ。
その恵みは深く、愛といつくしみは限りない。
35 主に叫べ。
『私たちの救いの神よ、どうかお救いください。
私たちを国々から呼び集め、
安全に救い出してください。
そうすれば、あなたのきよい御名に感謝し、
声の限りほめたたえます。』
日ごと主が救い主であることを宣べ伝えよ、とあります。
伝道は、大きな声で宣べ伝えることもあれば、毎日の小さな行いの中で神の素晴らしさをあらわしていくことも「宣べ伝える」に含まれていると思います。
これは、国家的行事のような状況で歌われたものです。
つまり、宗教と言うより、憲法レベルでの意味合いです。
日ごと・・・ですから、そのように生きよう、ということです。
今日のみことばの最後には、神に救いを求める一節となっています。
しかも、私たちを国々から呼び集め安全に救い出してください、とあります。
ダビデの時代ですから、国々に散らされていたバビロン捕囚期でもありません。
神学的な捉え方がどうとかは、私には全くわからないことなのですが、私はこれがどういうことなのかは体感的にわかる気がします。
それは、最終的に神が人類に対してなされることはこれなのだなあ、と思うからです。
これは、現代のクリスチャンにとって、まだこの地では実現していないけれど、聖書の中でプレオープンされている「神の国」への現状憲法の部分のようだと思いました。
神の国がやがて来るとき、そこに救い出されるということです。
そこに向かってクリスチャンは、毎日毎日、言葉であり態度であり、徐々にでも大胆にでも、神を宣べ伝える生活をしなさい、という点で、もうこの時代からつながっています。
イスラエルがまず救い出されたのですが、この歌では預言的に、もう世界のこととして扱われていることをここで知らされる思いでした。
東京では33日連続の降雨が記録され、これは観測史上最も長いものと並んだそうです。
天候にあらわれるのは、わかりやすい神の力ですが、これもまた、神を知って伝える一つのきっかけのようにも思います。
もしかすると近い将来、一時的に天気を変化させる技術が開発されるかも知れません。
しかし、天候まで変えてしまうことは出来ないでしょう。それが今起きていることです。
今日だけで終わるのではなく、来る日も来る日も、つまり人生そのものを神を宣べ伝えるために生きること。これは、聖書によってプレオープンされた神の国を伝承し続けることとも言えます。
このために、私は救われたことを覚えさせられます。