ダビデはエルサレムに自分の宮殿を建て、神の箱を安置する新しい神の天幕(幕屋)を張りました。 2 それから、次のように命じたのです。「神の箱を新しい場所に移すとき、レビ人以外は箱をかついではならない。彼らは永遠に主に仕えるために選ばれたからだ。」
3 ダビデはイスラエルのすべての民をエルサレムに召集し、神の箱が新しい幕屋に移されることを祝いました。
4-10 その時集まった祭司とレビ人は、次のとおりです。
ケハテ氏族、百二十人、指導者ウリエル。メラリ氏族、二百二十人、指導者アサヤ。ゲルショム氏族、百三十人、指導者ヨエル。エリツァファン氏族、二百人、指導者シェマヤ。ヘブロン氏族、八十人、指導者エリエル。ウジエル氏族、百十二人、指導者アミナダブ。
11 ダビデは大祭司ツァドクとエブヤタル、それにレビ人の指導者ウリエル、アサヤ、ヨエル、シェマヤ、エリエル、アミナダブを呼び、 12 言いました。「あなたがたはレビ人の諸氏族の指導者だ。レビ人全員が身をきよめ、イスラエルの神の箱を、私があらかじめ準備した場所に運びなさい。 13 前に主がお怒りになったのは、あなたがたに運ばせず、定められたとおりにしなかったからだ。」
14 祭司とレビ人は、神の箱を運び入れるに先立って、きよめの儀式を受けました。 15 それからレビ人は、主がモーセを通して命じられていたとおり、箱をかつぎ棒で肩にかつぎました。
16 ダビデ王はレビ人の指導者たちに、楽器の伴奏つきの合唱隊を編成し、彼らが十弦の琴、竪琴、シンバルを打ち鳴らし、喜びの声を上げて歌うよう命じました。 17 そこでヨエルの子ヘマン、ベレクヤの子アサフ、メラリ氏族出身のクシャヤの子エタンが、その長に任命されました。
18 以下は、彼らの補佐に選ばれた者たちです。
ゼカリヤ、ベン、ヤアジエル、シェミラモテ、エヒエル、ウニ、エリアブ、ベナヤ、マアセヤ、マティテヤ、エリフェレフ、ミクネヤ、門衛オベデ・エドムとエイエル。
19 ヘマン、アサフ、エタンは、青銅のシンバルを鳴らしました。 20 ゼカリヤ、アジエル、シェミラモテ、エヒエル、ウニ、エリアブ、マアセヤ、ベナヤは、十弦の琴の八重奏団を編成しました。 21 マティテヤ、エリフェレフ、ミクネヤ、オベデ・エドム、エイエル、アザズヤは、八弦の竪琴を弾きました。 22 歌の指揮者は、その道に通じているレビ人の長ケナヌヤでした。 23 ベレクヤとエルカナは、神の箱の警護に当たりました。 24 祭司のシェバヌヤ、ヨシャパテ、ネタヌエル、アマサイ、ゼカリヤ、ベナヤ、エリエゼルは、行進の先頭に立ってラッパを吹き鳴らす役につきました。オベデ・エドムとエヒヤは、箱の警護に当たりました。
25 こうして、王をはじめイスラエルの長老と軍の将校たちは、大きな喜びをもって神の箱をエルサレムに運ぼうとオベデ・エドムの家へ行きました。 26 今度は、契約の箱をかついだレビ人は何の害も受けなかったので、雄牛と子羊を七頭ずついけにえとしてささげました。 27 ダビデと契約の箱をかつぐレビ人、合唱隊員と指揮者ケナヌヤは、みな亜麻布の衣を着ていました。ダビデはさらに、亜麻布のエポデ(祭司が儀式で着る装束)を着ていました。 28 そしてイスラエルの指導者たちは、大歓声とともに、角笛とラッパが響き、シンバルが鳴り、十弦の琴と竪琴が高らかにかなでられる中、契約の箱をエルサレムへと運び上ったのです。
29 契約の箱がエルサレムに到着した時、サウル王の娘でダビデの妻ミカルは、窓からその様子を見て、気がふれたように踊るダビデに深い嫌悪を感じていました。
ダビデについての話は有名ですが、このようにしてダイジェストで読むことで、大事な部分がはっきりと見えて来るのは、歴代誌ならでは、と言えるのかと思っています。
以前、ダビデは契約の箱を豪華な牛車で運ぼうとしていましたが、それは神の御心に反していたことが、ウザの死からわかりました。
そして、体制を「神の取り決め」に従う形に立て直して、再び箱を運び入れました。
まずこのダビデの霊的な修正は、特筆すべき重要なところであると私は思います。
またその中で、この箱を迎える式典、礼拝式とも言えますが、これが恐ろしく組織化されていることが一つポイントにもなっていると思いました。
ここは、ちょっと注意しておく必要はあると思いますが、組織力です。
ダビデは王の役割を「民を喜ばせるため」であると気づいていたのですが、それは、民に好きなようにやらせることではなく、正しく神に向かわせることによる喜びであると私は思います。
それを実現するために、この組織を作るということは、極めて大事な事である気がしています。
楽器を使っている人が大勢いますが、これが適材適所で組織されています。心があれば技術は不要、のような感覚とは大きくかけ離れます。
もちろん、技術があれば心は無くてよい、わけがありませんが。
これは、牛車によって箱を運び入れようとした「良心のダビデ」と、”きよめられた”レビ人に運ばせた「従順のダビデ」の違いと、ややかぶって見えるとことではあります。
とても大事だと思うのです。
というのは、これによって、大歓声が起き喜びが湧き出しているということです。
箱を運ぶにあたり、
ダビデの良心にまかせることでは、ウザの死という悲しみと落胆、そして恐れが起きました。
良心だけではなく従順によっては、民を大歓声の喜びにみちびかれました。
これ、神のご性質、聖書の原則ではないか、ということです。
イスラエルの王は、このために召されたと言えます。
今日のみことばの最後に、気がふれたように踊るダビデを見て軽蔑したミカルの姿が述べられています。
この一連のダイジェストによって、どうしてダビデがそこまで喜んだのかについて、私には、新しい発見だったと思っています。
ダビデは、契約の箱を運び入れることが出来たことが、このようにただ礼拝対象としての神を喜ぶ他に、式典全体とか国全体に神のご臨在が示されたことに本気で喜んだのではないか、と考えることが出来ました。
感情の爆発、と言えばそうです。神をお迎えできた!だけではなく、神はやってくださった!も含まれているということに喜びが増幅したのでしょう、と。
そして、ミカルが見つめたものは、残念ながら神ではなくダビデの体面でした。
サウルの娘だから、とは思いたくないのですが、彼女はこの式典、この礼拝には不在であったことがよくわかるものです。
今日のみことばからは、正しく修正すること、です。