あなたのおことばは、
つまずかないように道を照らしてくれる明かりです。
106 私はあなたのすばらしい教えに従います。
何度でもそう宣言します。
107 私は敵の手に落ちて、
死と背中合わせになっています。
どうか、お約束どおり私を生かしてください。
108 この、心からの感謝を受け入れ、
あなたの望みを私に悟らせてください。
109 私は危うい状況で生きていますが、
あなたのおきてを手放したりはしません。
110 悪者どもは、あなたに従う道に罠をしかけましたが、
私は、その道からそれようとは思いません。
111 あなたのおきては、いつまでも私の宝です。
112 死ぬまであなたに従うと、堅く決心しています。
113 神に従おうかどうしようかと迷う
優柔不断な人々を、私は軽蔑します。
私は、あなたの教えを愛する心を貫きます。
114 あなたは私の隠れ家、また盾です。
あなたのお約束だけが、私の望みです。
115 悪事を企む者よ、私の前から消え去れ。
私が神の命令を守ることを妨げてはならない。
116 神よ。
私を生かすと言われたお約束が果たされなかったなどと
言われることがないようにしてください。
117 私を敵の手の届かない高い所で、
しっかり支えてください。
そうすれば、こののち、おきてを守ることができます。
118 あなたのおきてを捨てる人はみな、
あなたに捨てられました。
彼らは結局、自分をあざむいただけでした。
119 悪者どもは、神に捨てられる金かすにすぎません。
だからこそ、私は喜んであなたのおきてに従います。
120 私はあなたの罰を恐れるあまり、震えています。
これを祈っている著者の心がわかる気がします。
昨日、学生の頃の後輩と話をしていたのですが、どうしても私は自分がクリスチャンであることを言いたくなります。
それでそういうと「僕は物理と化学ばりばりですから、あまり興味が無いんです」という反応が来ました。
そして、神道は〇〇で、イスラム教は〇〇、それに比べてキリスト教は〇〇で仏教も〇〇、という具合に、全部知っていますよという話になってくる。
知識的にはなるほどよく知っていると思うし、物理や化学を重んじるのは私も一緒だ。
しかし、全く神を知らないし、知ろうともしないし、話す前から聞くことを拒むという一つの手続きを踏んでくる。
正直な私の心はほぼ「何も知らないくせに、神を評論すんなや」「神道とかイスラム教とか、そんな偽物と一緒にすんな」となる。
これ、何もこの後輩に限らずで、多くの人の共通する。
しかしそういう後輩にも、いずれ時が来るだろう、と、争わないようにだけ気をつけました。ただ、私の心の中は全く冷静さがなく、何かがずっと沸騰してしまっていて、争わないことだけで精一杯。
だから、この著者もそうだったのかなあ、とか思いました。
違うかも知れませんが。
今日のみことばで特に心に響くのは、「何度でもそう宣言します」という言葉。
そもそも信仰というのは、何度も何度も、というところにあらわれてくるものだと感じています。
信じるためにそうするのではなく、信じていたらそうなってきます。
このことを今日は適用にしたいと思います。何度もそう宣言すること。