33-34 主よ、どのように歩めばいいか教えてください。
あなたの教えのとおりにします。
いのちある限り、心を尽くしてお従いします。
35 私に正しい道を歩ませてください。
私は、それがどれほど喜ばしいことか、
よく知っているのです。
36 不正な利益を求めることなく、
従順の道を選び取らせてください。
37 あなたのご計画以外のものに
目を奪われることがないようにしてください。
私の心を奮い立たせ、
ひたすらあなたを慕わせてください。
38 お約束をもう一度保証してください。
私はあなたを信頼し、あがめていますから。
39 なぜ私は、あなたに従うゆえのあざけりを
恐れるのでしょう。
あなたのおきてはみな正しく、良いものばかりです。
40 私はあなたのおきてを守りたいと、
ひたすら願っています。
どうぞ私を生かしてください。
41-42 救いの手を差し伸べてくださることが、
あなたからの約束でした。
どうか私を、あなたの恵みと愛でお救いください。
そうすれば、私をさげすむ者たちに
言い返すことばを持つことができます。
私はあなたの約束を信じているからです。
43 どんなことがあっても、
あなたのおことばを忘れさせないでください。
それこそ、ただ一つの望みなのです。
44-46 私はいつまでも、心から神にお従いします。
あなたのおきての中でこそ、
ほんとうの自由があるからです。
神のおきてを国王に告げれば、
彼らは関心と敬意を持って聞き入るでしょう。
47 私はどれほどあなたのおきてを愛し、
ご命令に従うを喜んでいるでしょう。
48 「さあ、早く来てください」と、
私はおきてを手招きします。
それを愛し、身も心もささげたいと
願っているからです。
119編を読み進めていくと「おきて」に従うことがこの祈りの目的であることがわかってきます。
ここでの「おきて」は、律法を指すだけではなく、「神」と理解した方が良さそうです。
48節にあるように
「さあ早く来てください」とおきてを手招きする
とあります。それは、神の国か?キリストか?と思いました。
「神の国とその義を第一に求めなさい」
という、私にとってはもう絶対に肌身離せないみことばが思い起こされてきました。
「そうすれば、それらに加えてすべて与えられます」
これもまた「おきて」を守ればと「与えられる」という約束に聞こえて来ます。
この祈りの人の立場にも心を移してみました。
すると、そこには葛藤のような、もやもやしたものが見えた気がします。
それは、私自身にあるものと同じものです。
神の「おきて」に従って、もうそれだけを理由として生きたいのに、そうはさせないものが自分の中にも環境にも多くあります。それを拒むものがたくさんあります。
そのように、思えるのです。
しかし、一方では、それは自分自身の問題に過ぎないことを悟りかけています。
それが、今日の冒頭のみことばである「教えてください」に現われています。
わからない、という告白でもあるということです。
天の父は全てをご存じです。それもまた「おきて」に帰ることでわかってくることです。
そして、わからない、という渇きにこそ、それを求める力がまた与えられているのだろうという期待も生まれてきます。
それは、神がどうしてヒトをこのような形で創造されたのか、という”神秘”にもつながるとても重要なことであるとも思います。
神を求める、神を慕う、神に乞う、愛である神はそれらに正しく答えてくださるという関係です。
神は罪を放置されませんが、その罪がヒトに入ることを言わば”許可”か"看過"されたことは、ヨブ記などから想像出来ます。これは個人的な現状思考です。
それによって、神を知る者は、神を求めるようになる、「おきて」に帰ろうとするのかも知れません。
今日も、適用を無理に絞り出すより、このみことばを抱くことを優先にしたいと思います。それは、この人と同じ祈りをすることになります。
私は、わかっている者ではなく、わからない者です。だから教えを乞います。
神の「おきて」をどのようにして守ればよいか、「おきて」に満たされた人生を送るにはどうしたらよいのか。ここに渇き祈ります。祈りたいのです。