11 死海の東にある旅人の谷に、わたしはゴグとその軍隊の広大な墓地を設ける。そのため旅人の道がふさがれてしまうほどだ。そこにゴグとその軍隊が埋葬され、『ハモン・ゴグ(ゴグ軍)の谷』と呼ばれるようになる。 12 死体の埋葬に七か月かかり、 13 イスラエルのすべての民がこれを手伝う。わたしの栄光が現されるこの日こそ、イスラエルにとって輝かしい勝利の日となるからだ。」主がこう語るのです。
14 「さて、七か月目の終わりに、国をきよめるために、国中をくまなく調査し、残っている骨を埋葬する人々が選び出される。 15-16 骨を見つけた者は、埋葬する者にわかるように、そばに標識を立てる。それを見て、埋葬する者がその骨を『ハモン・ゴグの谷』に運び、埋葬する。そのために、そこの町はハモナと呼ばれるようになる。こうして、国全体が完全にきよめられる。
17 さあ、人の子よ、鳥にも獣にも呼びかけて、こう言いなさい。みな集まれ。いけにえの大饗宴だ。近くからも遠くからも、イスラエルの山々に来なさい。さあ、肉を食べ、血を飲むのだ。 18 勇士たちの肉を食べ、君主たちの血を飲むのだ。彼らこそ、わたしの祭りのための雄羊、子羊、雄やぎ、バシャンの肥えた若い雄牛だ。 19 飽きるほどたらふく肉を食べ、とことん酔っ払うまで血を飲み干せ。これが、おまえたちのために準備したいけにえのごちそうだ。 20 わたしの宴のテーブルで、心ゆくまで食べるのだ。さあ、馬も、騎手も、勇敢な戦士も。」主がこう語るのです。
ゴグが中心となってイスラエルに押し寄せる連合軍は、かなりの数の死者が出るようです。7カ月間もの間、攻められたイスラエルの人たちが連合軍の兵士の死体を埋葬するというのですから、相当です。
神の栄光は、こうして現わされること。この神のご性質、在られ方が特に今日は心に刺さってきました。
色々なことに思いを巡らせましたが、私なりの読み取り方は、人間中心ではないということです。
”ゴグの大敗と無数の死者を出す神”という表現をもって現代の人々は、神を罵ったり、神不在を訴えたりするでしょう。または、聖書が不道徳な教えであるとか、けしからんものだという根拠にする場合も考えられます。
しかしこれは、人の行いから来た一つの結末であるとともに、神がこうして意をもって成されたご計画の経緯になるということを、謙遜を持って受け止めなければならないと思います。
人が、聖書を冒涜したり、神はいないと言ってみたところで、神は全く影響を受けられずに着々とご計画を遂行されていくということであり、そこに神の栄光がはっきりと表されるのだと、言われます。
王国のイスラエルが滅びて再生したことは、歴史の中にある人間社会の栄枯盛衰としてのみ捉えるのは、私は愚かだと思います。
なぜなら、こうして「終わりの日」の手前に起こることを、神は既に同列で預言されているのですから、少なくとも「起こり得る可能性」としては捉えておかなければなりません。それもまた、神の御心でしょう。実際に起こった時、神の存在を確信することになるからです。それによって救われる可能性があるからです。
人の業ではありません。神の業です。神は歴史に主体的にご介入されている、いや、神の手の上で歴史と呼ばれるものが動いている、ということだと私は思います。
それにしても、今日のみことばの結びは、残酷であり滑稽でもあります。
鳥や獣に「いけにえ」で大宴会だ、と。これは衝撃的です。いけにえとは、神にささげる罪の赦しのためのものであったりしますが、それは基本的には動物です。ゴグら連合軍の死体は、その「いけにえ」扱いされています。
私はどういうわけか、この”死に様”をもってイスカリオテのユダを連想しました。
神を知りながら、神無き者としたり、神を否定して生きてしまうことの、なんと言うか、みじめさです。神を知って、神を信じて生きる者との対比でもあります。
神を信じる者が優れているのではありませんが、神を信じることによって、いけにえの運命を辿らずに済む、神に守られるように、しっかりと道を外さないこと。そういう風にも思いました。
そして、謙遜というのは、やはりここでとても重要で、元来私はそのいけにえの性質で生きているということです。だからこそ、神につながる必要があるわけです。
幸いにも、救いはイエスによってディスプレイされました。イエスの復活によって確証たるものとされています。これによって、道がどこかがはっきりとしているということです。私が優れているからではなく、ただ用意されたものを受け取っているだけです。
神が栄光をあらわされたのです。
今日の適用を考える中で、一つポイントになったのは、7カ月です。
神は敵を退けて、いけにえ状態としてくださったのですが、そこからイスラエルがきよめられるまで、7カ月擁しています。
神は、死体の片づけまでやってくださるのではなく、イスラエルの人々に7カ月間も死体を扱わせることできよめに向かわれたということだなと思いました。
適用、というか、時間がかかる、ということです。
春頃から、解決しなくてはいけないけれど、自分ではどうしようもないことがあり、祈っています。はじめてでした、1秒も眠れず、祈りにもならず、ただ「助けてください」と一晩を明かしたことです。
それから、自分の祈りの課題としていますが、まだ状況の変化が見えません。
例えばこのことについて、焦らず、待ち、神の働きを期待する、と言われているように思いました。適用としては、焦らないことです。