さらに、主から別のことばがありました。 2-3 「人の子よ。北の方、マゴグの地に顔を向け、メシェクとトバルの王ゴグ(神に敵対する勢力を総結集した軍隊を表す、象徴的な存在)に預言して言え。神である主はこう語る、と。ゴグよ、わたしはおまえの敵となる。 わたしはおまえのあごに鉤針をかけ、破局へと引きずり込もう。おまえの軍隊や武装した騎兵隊を総動員し、完全武装の強力な大軍に仕立てよう。 ペルシヤ、エチオピヤ、プテも、それぞれの武器を持っておまえに合流する。 また、ゴメルとその全軍、北の果てのベテ・トガルマの軍隊、その他多くの軍勢も、おまえの味方につく。

いつでも出動できるように、備えておくのだ。ゴグよ、おまえが全軍の総指揮官なのだから。 おまえが出動命令を下すのは、ずっと先のことだ。幾多の年月を経てから、おまえはイスラエルに襲いかかる。そこには、多くの国々から帰って来た民が平穏に暮らしている。 おまえとその同盟国は、恐ろしい大軍となって、嵐のように攻め寄せ、雲のように地を覆う。

10 その時、おまえは悪いことを考えるようになる。 11 おまえはこう言うだろう。『イスラエルは、城壁のない、無防備な村の集まりのようなものだ。よし、この地に攻め入り、そんな大胆不敵な態度で暮らしている彼らを、一気にひねりつぶしてやろう。 12 一度は廃墟となり、今は国々から戻った者らで栄えている町々を攻め、山のような分捕り物と大ぜいの奴隷を手に入れよう。彼らは、今はたくさんの家畜や財産を持ち、世界の中心のようにふるまっているのだから。』 13 だが、シェバやデダン、それにイスラエルと交易しているタルシシュの豪商たちは、こう問い返すだろう。『イスラエルの金銀を奪い、家畜や財産を略奪して彼らを貧乏にしようとするおまえは、いったい何者か。』」

14 主はゴグにこう語ります。「わたしの民が自分の国で平和に暮らしている時、おまえは動きだす。 15-16 騎兵の大軍を率いて北から攻め入り、雲のようにこの地を覆う。このことが起こるのは終わりの日、末の遠い将来だ。わたしはおまえに、わたしの地を攻めさせる。みなが見ている前で、おまえは徹底的に打ちのめされる。それによってわたしのきよさが示され、すべての国々は、わたしが神であることを知る。」

17 神である主はこう語ります。「わたしが昔、イスラエルの預言者たちを通して語った人物とは、おまえのことだ。彼らは、ずっとのちに、わたしがおまえにイスラエルを攻めさせる、と長年にわたり預言していたのだ。 18 だが、おまえがイスラエルを滅ぼそうと攻めて来る時、わたしの怒りは燃え上がる。 19 その日には、わたしはねたみと激しく燃える怒りとで、イスラエルに大地震を起こそう。 20 すべての生き物は、あまりの恐ろしさに、わたしの前で震え上がる。山々は倒れ、崖はくずれ落ち、城壁は粉々に壊れる。 21 わたしはおまえをあらゆる恐怖に直面させる。」神である主はこう語ります。「おまえたちは同士打ちで倒れる。 22 わたしは、剣、疫病、大洪水、大きな雹、火と硫黄で、おまえと戦おう。 23 こうして、わたしの大きさを示し、わたしの誉れを表そう。国々は、わたしが行ったことを聞き、わたしが神であることを知る。」

 

有名なエゼキエル戦争の預言。

今やクリスチャンユーチューバーとして有名な高原剛一郎さんがこの預言について解説してくれていましたが、それはきっと、終わりの時が近づいた世界に起こることでしょう。

ただ、ここだけを切り取って”未来予言”的に読むのではなく、これまでの流れの中に存在する預言として読むとき、ゴグ、マゴグがどこの国あたるかとか、そういう解き明かしよりも大事なことが見える気がしました。

 

それは、神はこの世界の歴史の中で、世に明瞭でない一背景として存在されるのではなく、イスラエルに起きる大事件に直接ご介入されているということです。

昨日まで読んだのは、バビロン捕囚からの回復期、そしてイエスが初臨への流れでした。

そしてこの章ではいわゆる終末期における世界情勢の中でのイスラエルの存亡です。

これらが、アブラハム契約の「すべての人があなた(アブラハム、イスラエル)を通じて祝福される」の履行の中で行われているのだと、私には感じます。

エゼキエル戦争は、そのためにやはり神の主導によって起こるわけです。

エルサレムの陥落もまた、神のご計画であったように、エゼキエル戦争も”予言”などというオカルトの話ではなく、やはり神のご計画、神の契約履行として起こるということをよくよく噛み締めておかなくてはいけないと思います。

 

エゼキエル戦争について、それぞれの国家がどこにあたるかの推測無しで読んでみても(ペルシアははっきりしてます)、イスラエルに攻め込むのは、大軍勢であることがわかります。

現代では強力な軍隊、軍備を擁するイスラエルですが、反イスラエル連合国が雪崩れ込んでくるのですから、本来は、バビロン捕囚の再来のような場面に思えます。

到底勝てない敵国連合がイスラエルに「分捕りもの」目当てに攻め込まれるのですから。

しかし神の御心は、この連合軍をはねつけることにあります。

大地震という、神のご介入によってそれを成されます。そして、連合軍内で同士討ちが起こると言われています。

それらのことによって、イスラエルは防衛に成功しますが、明確なことが起きます。

それは、「国々が主の存在を知る」ためです。

神はその存在をついに世界に明らかにされるためにこの戦争が起こるということです。

 

人の営みがどのように変化していくか、世界情勢の言い当てではないんです。

神が明確に、イスラエルを軸として起こされるものであり、そこには「世界に神の存在を知らしめる」という御心があることをよく覚えておかなければならないです。

 

高原さんは、世界情勢の中で語られていることは、そういう意味でとても意義深いものだと思います。ああ確かに、このようなことを言っている人がいたなあと、実際にエゼキエル戦争が勃発した時に思い出して「神を知る」人が増えるだろうから、です。

 

今日の適用は、気を緩めないこと、です。

これは霊的な緩慢を自分に許さないことと言えます。

というのは、神は歴史に強くご介入されて、平穏なイスラエルを攻められました。

同じ神が、私にも働いてくださっていることを知るべきです。

そうすることによって、神は存在をあらわされるように思うからです。

これは神様がされたこと、これは神様ではない、などという考え方が霊的緩慢につながっていくと思います。

決して、ストイックであることを自分に課すわけではありません。全ての物事に神が働かていることを受け止めて、不用意なリアクションを示すのではなく、神が望まれるだろう態度を示していくということです。

不用意なリアクションとは、蛇に騙されたエバやアダムのようなものです。すぐにひっかかってしまうのです。そういう緩慢さを排除すべく、一日中みことばを持ち歩き、口癖のように祈り続けるものよいかも知れません。